2020
09.24

占いは、名のなき山の山登りかもしれません。

名山ならば、いろいろな登山口があり、山道も整備され、何合目とかの標もあって、安心して頂上へと向えるのですが、名もなき山はそーはいきません。

たとえば、私メが断易という山に踏み入ったのは、人生がどーもこうもにっちもさっちもつかなかった、
「これで終わりだ…」
絶望に沈み、前も暗闇、振り返っても暗黒という状態の時でありました。

最後の選択として、
「占い」か「手品師」の二つが残り、手品師は手を痛めたら終わりだが、占いならば多少、ボケても大丈夫かも、ということで占いへと足を踏み入れたのであります。

が、そこは深山。
一年も勉強すれば、何とかなるという安易な世界ではありませんでした。
理解とかそーいうこととは別に、
「この世界で良いのか」
「もう止めた方が良いのでは」
という迷いが付きまとう世界でありました。

多くの人なら、「やめよう」と早々と匙を投げたところであります。二年目の中頃から、そういう気持ちが頭をもたげ、
「この先生の人格が問題だ。この先生の教え方が悪い。別の教室は評判がいいから、そこに移ろう」
などと自分の迷いを、師匠に原因させるのでございました。

どこまで勉強すれば、頂上に到達するのか、そもそも、現段階は何合目なのか。
道標のない世界なのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お金ばかりかけている自分は狂っているのではないか。
貯金額は5万円から増えたためしはございません。車を購入するどころではなく、木造の貧乏アパートで屈辱の日々でありました。過ぎ去る外車を、すぼめた目で睨んでおりました。新築の都庁を指さしては「滅べ!」と声を出して仰いでおりました。有名人の醜聞を見ては「死ね、死ね、死んでしまえ」と無駄な興奮を抑えることができませんでした。

たしかに狂ってはいるのですが、教室を見回してもメジャーになっている方々は皆無。
プロの易者のオバさんはいても、私メの目指す方向性とは異なっていたのであります。
「方向性?」
そんなものはないと今なら嗤えますが、当時は、それでもどこか純粋さが残っておるのでありました。

脱落者は数え切れません。
が、趣味で習っているのではありません。ここで脱落したら、あとは犯罪者になるしか道はないところまで、私メは追い詰められていたよーであります。いや、すでに犯罪者だったかもしれません。現実の犯罪に手を染めていないだけで。

いまだとて頂上を極めたとは思ってはおりませんが、密林の中であえいでいた頃よりは、ずいぶんと快適であります。

「もうこれしかない」
睡眠時間を三時間に絞り、空を仰げば、五色に染まり、
「これが五行か。これが遁甲の方位の気の色か」
体力の消耗が幻覚を見せておりました。

お金が出来れば、一冊10万円とかの古本を買いそろえ、言うことも変になり、普通の仲間からも見放され、一人どっぷりと占いの沼地に溺れかけていたわけであります。

が、私メを救ってくれたのは、教室の受講生のお婆さんでありました。
株占の達人とはつゆ知らず、そのお婆さんから、「あなたは若いのに感心ね。占いを捨てちゃダメよ」
と励まし続けてくれたのでありました。鷲尾先生に紹介してくださったのも、このお婆さん。
占い業の師匠である六龍先生にいた私メに、「こんなところにいちゃダメよ。断易なら鷲尾先生だから」と、翌日、築地にある鷲尾先生の事務所に連れて行ってくれたお婆さんでした。以後、お世話になりっぱなしの長いながい付き合いになるのでありました。

訃報がありました。
そのお婆さんの。

今回のブログは追悼の念を込めておりますです。

頑張らなくっちゃ!