2020
12.17

「イイ年齢をしたジジイのやることだろーか」
マッチの山を前にして思い始めた気持ちを、
「ダメだ、ダメだ」
と消去し、ひたすら「ウンチ」作りに専念するのであります。

すこしでも、白けてしまったら、そこで終わりなのであります。

四日間、「しやわせカード」作りに没頭しておるのであります。

携帯電話やスマホはコートのポケットに封じ、クローゼットにしまい込んでおりますです。

カード作りはひと段落し、あとはSPの付録の「ウンチ」だけ。
定型に紙を断裁し、マッチを2センチ幅の切れ目に入れ、擦る紙を裏に張り付け、それからサイン。なかなかの工程なのであります。

無念無想で、完成というゴールを目指すほかありません。

思えば、占いという分野も同様であります。
ふと、
「こんな迷信っぽいことをして、何になるのだ」
白けてしまったことが幾たびもございます。

多くの仲間はリタイヤ。
「えっ、まだやってるの?」
呆れられたこともたびたび。

事実、なんども「止めよう」と思ったことがございます。
ところが、止めようとすると、とんでもないことが発生し、そのたびに、お経のように、たとえば「併して併せず字現多きによる」などと断易、黄金策の暗記に神経を集中させ、とんでもないことから目をそらしてきたのであります。

断易というヤツは、四柱推命とか、奇門遁甲と違って、ひどく忘れやすいところが特徴であります。暗記しても、砂のように記憶から滑り落ちるのであります。極端な場合は、「そんな講義を受けたっけか」と、原理原則がゴッソリと記憶から欠落することもございます。

なんどもなんども暗記しなおして、やっと現在に至るのであります。
それでね1週間も鑑定からはなれると、
「沢天夬は兄弟がどこで、世爻がどこだったかな」
と、お客様の前で、納甲表を開くていたらく。

とにかく、このような繰り返しから、
「しらけたら終わりだ」
と学習したのであります。

ところでお話は変わりますが、お皿の砂。
2週間ほど前に京都のさる神社で得たものでして、その効果を上げるために城崎まで方位を選び、そして、いまSP版に内蔵させたのですが、
「強すぎる~」
お砂の「気」の生きが良すぎるのであります。
しばし、フラフラになってしまいましたです。

SP版のパウチをあえて弱めにしておりますのは、このお砂のパワーを活かすためであります。

今回のSP版は、内実を重視するため、いささから外見のスタイルの良さを削っていることをご了承くださいまし。