2021
03.09

いぜん、どなたからだったかの贈り物の、ショットグラスが戸棚の奥で光っておりました。

「おやおや」
大好物でございます。

ヒステリーが過熱している昨今、このよーなモノを手にするだけで心が和むのでございます。

薄いガラスでできたグラスは、わずかな圧が加わるだけで微塵に砕けてしまうでしょう。
微笑ましい笑いを誘う男女一対のグラスを、作者が果たして、壊れやすい男とお女性の関係を意図したかどーかはともかくとして、眺めていますと、和んだ心の後で、なぜだかシンミリしてしまうのでございます。

「わたしは、じゅうしち、あなたは、じゅうはち」
春の雪の降る日に、地下にある喫茶店で、私メに卒業のお祝いとして、機関車を模した灰皿を送ってくれた少女が、ノートに書き込んでいました。細く白い指でペンを握っているのでありました。

春は悲壮感があふれ出す季節なのでありました。
駅のホームで下級生の応援団に、応援歌で見送られながら、卒業生は進学のために列車に乗り込んでいくのでございます。
「あやつも行ってしまったか…」
あたかも特攻隊員の思いなのでありました。

街を歩いても、知り合いに会うこともなく、街自体が自分を追い出したいと冷たくあしらわれているよーでありました。
「いついくの?」
「まだ」

卒業間近に芽生えた恋でありました。一つ年下の女子でございます。
「四月に修学旅行に行ったときに会えるかな?」
「さー、どーかな」

夏に再会しましたが、そこにいるのは見知らぬお女性なのでありました。
告げましたら、
「オノさんこそ変わった」
とっくのむかしにグラスは砕けていたのでありました。

あれから時が過ぎ、生きていれば、彼女も60才をゆうに超えております。

「わたしは、じゅうしち…」の喫茶店のノートは、ひそかに盗みまして、書庫のどこかに古びて変色し眠っているはずであります。