2021
03.24

先月の地震の影響で、東北新幹線は福島県あたりで速度を落とします。

「あれ、この辺りは…」
遠い記憶が蘇るのでありました。

すでにこの世のお方ではありませぬ。
太平洋戦争終結のドサクサに、軍部の物資をトラックいっぱいに持ち逃げした青年将校がおりました。
彼を知ったのは、戦後30年もたってから。
「闇米の帝王」と囁かれるほど成功し、いくつかの会社の経営者となられたお方でありました。
社長室には大きな写真が飾られておりました。
部下500人を前に壇上にたつ、若き将校。

社員旅行に招かれまして、私メは、社員旅行というものを体験したことがなく、
「バカ、みんな行きたくないんだぞ」
と首を傾げられましたが、それでも体験したかったのであります。

後悔したのは『無礼講』であるはずなのに、その帝王が、演説の最中に囲碁をしていた社員をぶん殴ったあたりからでありました。
囲碁はマズイとは思いましたが、座は、まるで戸塚ヨットスクール(古すぎましたか)。

ところが帝王さんに気に入られてしまいまして、銀座や赤坂のクラブから、
「オノさん、時間があるならいらっしゃい」
と誘いがかかるよーになってしまいましたです。

帝王さんは、貧乏な音大の女子に目を付け、4年間スポンサーになったりして、
「人助けさ、人助け」
で、4年後には、新しいお女性の、人助けを…とかでありました。

私メが気に入られたのは、占いをすこし知っていたからでありました。ほんの齧り始めでしたが。
「この世には、そーいうことがあるのだ。占いを信じないうちは、まだまだ青い」
帝王は、しきりに方位などを聞きたがるのでございます。

帝王さんが蔵王山荘なるものを建て、そこに引きこもったのはずいぶんしてからであります。執筆に専念するとかで。
その新築祝いに呼ばれましたのが、
「ちょうど、このあたりの風景だった」
落ち着いた速度の新幹線の車窓から、蔵王連峰を眺めたのであります。
お祝いにメロンを持参したことを覚えておりますです。
駅から山荘まで市に寄付したと自慢した桜並木がうねうね続いておりましたです。

音大の女子の他に、帝王さんにはヤミ米時代からのお妾さんがおりまして、これが二目と見られぬオプス様。
新築祝いの祝い酒に酔い、ベランダの高台で風に吹かけておりましたら、
「会長は、オノさんに会社を手伝ってもらいたがってんのよん」
とオプス様。

が、ぶん殴られた社員を思い出し、明智光秀になるのはごめんだと、固辞いたしました。が、もしや、僕もと、音大生の救世主となる未来の自分の姿には心惹かれましたが。

そういう思い出の、懐かしい風景でありました。

帝王さんが亡くなられて間もなく、その会社は雇われ社長たちの乱で、乗っ取られたよーであります。
オプス様の悔し涙が忘れられませぬ。

東北沢に最初の事務所を持つ5年ほど前のことでありました。

やがて列車は長いトンネルに入るのでございました。