2021
08.22

人は何のために生きてきたのだろう?
日々、生き物の命を喰らい、そーして何十年も生きているのだから、「何かのために生きている」と思いたい。

なんてことが書かれた、机の引き出しの文集などから出てまいりました。
オショシイので伏せて秘密にいたしますです。

趣味で始めた占いが、いつしか、
「ああ、オレは易者になったか…」
小野十傳=易者。と、タイトルされるよーになりましたから、この先も、さらに人の運命を探求していくことになるわけでして、それに不満はございません。

小学校5年の文集には、「誰にも使われず、誰も使わない人間になりたいです」などと書いておりましたから、ある意味、その目的は達成されているのでございましょー。
が、これは亡父に対する反感が込められていた気もしないではないのであります。ちょうど第一期目の反抗期だったでしょーから。

しかし、表面的には「易者」でございますが、内面で求めているものは、この絵画でございます。
お女性を「こーするため」に生きたいのでございます。

「こーするため」とカギカッコで括ったのは、
・お女性が嫌がってはいない
・むしろ愉しんでいる
・そして安心している
この条件がなければならないからでございます。

男は、「やがて老いてダメになるだろー」「お前はお金も欲しいのだろー」「でも自分を愛してくれたサンキュー」
不安と諦めと感謝がブレンドした気持ちが現れているよーにも見えるのであります。

着くずした清潔な白いシャツからは、花が枯れたみたいな痺れるよーな体臭がたちのぼっているのかもしれません。
お女性は、男のベストの生地が、右側の脇乳に硬くこすれ、もどかしいよーな腹立たしいよーな気持ちになりつつあるのかも。
ふたりは透明な濃い空気のたまごに包まれておるのであります。

楽しくなくては、いままで食い物として犠牲にしてきた命に申し訳がたちませぬ。

私メは、断易の話をしていることに気づかれたでしょーか。
断易でいう、「相生」と「相剋」のお話であります。

相生は、相手に好意を持っている。
相剋は、相手を嫌っている。

この、ふたつの解釈だけでは、男女の関係を解き明かせませぬ。
愛していても「相剋」の現象はあるし、遊びの関係であっても「相生」の作用が起こり得るところに、男女関係の複雑さがあり、それらを断易は解きほぐしくれるのでございます。

しかしながら、ねがわくば老後は、いや、老前も老中も、この絵画のよーに生きぬきたいものでございますです。