2021
10.11

午前中の早い時間に鑑定があり、それを終えたとたん、
「やっていられない、もう」
事務所を飛び出し、列車に乗ったのでありました。
目的地はございません。

車両は私メひとり。
無人の車両に、今年最後の夏日の陽光の足が長く差し込んでいるのでありました。

「自由」「健康」「お金」
これを、しやわせの三大要素にあげていまして、その「自由」を満喫いたしました。

事務所から抜け出したところで、誰からも咎められない身の上ですが、それでも、鑑定料金をふところに、罪悪感が心地よくうずきますです。
「美味いラーメンを…どっかで」
脚はともかく、胃袋は健康体。

自由というのは、現実逃避にこそあるのかもしれません。
少なからずの、後ろめたさが伴って、はじめて「自由!」と小声で喝采したいのかもなのでございます。

そして目的地をもたないのですから、「この瞬間」がじつに充実しているのであります。
「いま」「いま」「いま」
その「いま」に自分は住んでいるのでございますです。

一休禅師の
『住む処無くして、将に其の棲む処を生ずべし』
円思想の境地を語った一文が残されております。

なんと贅沢な一日であることか。

かすかな罪の意識が、開放感と溶け合って、自由というスリルを作り出しておるのであります。