2021
10.24

庭の柚子が、ことしはたくさん実をつけて、豊作です。

でも柚子は、三、四もあれば十分で、豊作でも無駄なのです。
だとしても豊作はイイものでございます。

今日は仕事から解放され、自由を満喫しています。
午前中は、目的もないまま、自転車でスーパーに向かい、30円のレタスを二つも買ってしまいました。
豆腐も天婦羅もラーメンや唐辛子まで買ってしまいました。

顔見知りの中国人を見かけたので、睨んだりして遊びました。
そしたら、後ろにいた婆さんが、私メの買い物かごに冷凍餃子とかをどさっと入れたので、振り返りましたら、
「ごめなさーい、お父ちゃんと間違えたのよん」
そーいう年齢なのか、オレも…、ハッと思いだし、中国人に視線を戻したら、彼奴はニタニタ歯をむき出して笑っておりました。

「まぁ、日本人よりはマシか」
とはいっても、油断していると、またぞろコロナ菌をたずさえて大勢の奴らが南シナ海をこえてやってくるやもしれません。

スーパーから戻って柚子を眺めたのでありました。
そーして午後は、部屋の掃除。
気力のない一日だったのです。

さて、一日の生活を一生のミニチュアと考えて判断する占いがございます。
午前中から昼にかけて無駄な生活。これが初年期。
午後は身の回りのことを無気力にしたわけです。これが壮年期。
さて、夜にはなっていませんが、夜が晩年期。
晩年をどのよーにしようか。
仕事か、酒飲みか、読書か。デートというには遅すぎますし。

正確ではございませんが、これが六壬推命の基本的なイメージなのであります。

一日の生活を一生の細胞と考え、そこから死ぬまでの運命を占うというのは、どこか不気味でもあり、また面白くもございます。
朝は調子がつかなくて、午後から活動し、夜中まで働く人は、晩年も働き続けるという運命。
午後に、仕事をさぼり、浮気などを愉しむお方は、壮年期あたりに色事で失敗する危険があるとか。

もう一生の終盤に来ている私メ自身を、こんどは一生の運命から、一日の基本的なスタイルを見つめ直すと、
「なるほどなぁ」
改めて気づかされることもございますです。