2021
10.26

樹木自身は、どー思っているか分かりません。
しかし、春も夏も見向きもされなかった樹木が、晩秋を迎え、衆目を独占するかのよーに紅葉しているのでございます。
中年以後に運気が開いた人のよーであります。

春も夏も、花咲く木々の華やかさを、まるで額縁のよーに支えつつ、風だの苛烈な日差しを、枝葉を全力で張って守っていたというのに、誰からも評価されず、
「邪魔な木だな」
むしろ迷惑な対象として無視されてきたのであります。

それが炎のように色づき、こうして被写体となったのでございます。
けれど、じつは落ち葉を散らし、本当は開運期のいまこそが、
「いい加減にしろ」
落ち葉を集める作業員に憎まれていることも事実でございましょう。

開運とひとことで申しますが、そう考えるとさまざまでございます。

樹木は、紅葉して衆目を浴びる満足よりも、やがて裸木になる我が身を恐れているのかもしれません。
兼六園の雪吊りを、
「あれこそが、しやわせというものだべな」
羨んでいるかもしれませんです。

助手席の老母に、
「牡蠣をもらったのだが」
紅葉見物から帰り道でありました。
「生牡蠣は、ゲロゲロずくなるからわがねよ」

そこでカキフライにしたのでありました。

「めめめ~しなくなくてイイ~!」
牡蠣のヒモが口に残らなくて大変美味しいという意味であります。
上等な牡蠣だからでありましょー。

じつに美味しく出来たのでございます。
箸でつまみながら、いまごろは暗がりでライトアップもされず、夜に立ち続ける紅葉の樹木を思い浮かべました。

イイ生き方かもしれない。

松など冬囲いをされても、はたして満足か。
時が来れば、何もしなくても幸運時期を迎えられるのは、それをしやわせというものではないか。

カキフライにレモンの汁を絞りましたら、さくさくした衣が匂いたちながら口の中で壊れていくのでありました。