2021
11.01

今年も白鳥が飛来したのでした。

シベリアが故郷なのか、ココが郷里なのか分かりませんが、なんとも不便な生き物でございます。
私メもまた、関東とモリオカを往ったり来たりですから同じようなモノかもしれませんです。

老母が死んでも、この二重生活は続くことになるのであります。
なるべくモリオカでは人間関係を作らぬように心がけているのでございますが、そのうちに妙な噂が立っているよーなのです。

「書道家ではないか」
とか。
それならば嘘でも格好がつくのですが、
「東京で食うに困り、老いた母の年金をアテに帰ってくる男」
などと語らう御仁もいるとか。
たしかにスーパーに老母を伴う時は、レジで、お金を払おうとすると、
「いいがら、おらが払うがら」
腰をかがめて、ボロ財布からお金を支払う老母を見下ろす、初老のバカ息子という図であることは否めませぬ。

「人は人。自分は自分である」
と割り切っても、東京の都会のよーには上手く自分を納得しきれませんです。

それでも父が死んで16年。毎月、どんなことがあろーと、モリオカに戻ってきました。
当初は、
「あんだ、だれだったべがなぁ」
ご近所の方々から首を傾げられたものでございます。
父が死ぬまで、ほとんどモリオカに顔を見せませんでしたから、人々の記憶から私メの存在は消えてしまっていたのであります。

子供会の連中も、散り散りになり、あるいは事故死したりして、残っているのは一人か二人。

先日も、実家の坂道で、
「お兄さん」と声がするので振り向きましたら、老婆がすすけた顔でニタニタ笑っておりました。
それが、妹の同級生だと面影が結ぶまで、しばらく時間がかかりましたです。

そーです。
知り合いではないかと視線を泳がせる相手は30代どまりでして、けれど、60代のしなびた顔にこそ、知り合いが隠れているのであります。

池に来ている白鳥は、果たして去年の白鳥たちなのか。
私メが郷里だと信じている場所は、見知らぬ異次元なのかもしれませんです。