2021
11.13

先日、倒れて病院に緊急搬送された老人が亡くなったのであります。
私メは鑑定やスクールでしたからお悔やみに行くことはできません。

また、たとえ時間があったとしても、行くかどーか。

井上陽水の曲に、「あの人にお金を渡して帰ろう♪」だったかの歌がございましたが、以前、占いの勉強を一緒にしていた老人が亡くなったとき、葬儀場で、はじめて、
「あの歌は、葬式帰りの歌であったか…」
気づいたのでありました。

その老人…欣さんと呼んでおりましたが、生前、
「オノくん、僕ぁねぇ、伊豆に別荘があるのだが、そこで青少年たちのための塾を開こうかと計画を練っているんだよ」
と、ことあるごとに話しておりました。
われわれ受講生の一部は、すこしその気になって、「お手伝いしたい」とか賛同していました。
しかし、その話は、すべて嘘であることが、死んでから分かったのでございます。
別荘どころか、いまにも崩れ落ちそうな平屋に住み、千葉県に住んでいるという息子さんが言うには、「宝くじが当たったなら、の話なら、私も聞いてましたが…」
切なくなったのでございます。
ちいさな庭のちっぽけなケチ臭く咲く菊の植え込みにしゃがんで泣きたくなったのでありました。

丸1日の特別講習の際には、昼休みに、トンカツを食いながら「青少年は、いま病んでいるんですよ。僕ぁ占いによって…」と力説し…そういえば、午後の講義では、死臭が漂っておりましたっけ。
そうそう、あの特別講習の時、講師が欣さんを指差しして、
「オタク、気を付けたほうがイイ。死相がでているから」
と指摘され、欣さんはたいそう機嫌を悪くしたことでした。
そして、たしか、その講習を最後に、教室に見えなくなったのでした。

死の報せは、電話帳に教室のオバちゃんの連絡先が記され、そこから私メにつながったのでしたっけ。

「貧乏だったのね、欣さんは」
おオバちゃんが帰りの電車内で呟いたのが記憶にございます。
「死んでもダマしてほしかったな」
と。

そーいうことがけっこう多く、それからというものは、知り合いの葬式は敬遠しているのであります。

ところで、欣さんが、もしも大金持ちで、貧乏人を演じていたなら、どーだったのだろーと空想したりするのでした。