2021
12.22

散歩コースを変えましたら、住宅地に、こつぜんと廃屋が現れたのであります。
しかし私メは知っております、この家を。
いいえ、正直に申しますと、知っている記憶があるのであります。
この家に住んでいた長男と遊び友達だった気がいたします。そして家の中で、お母さまにシチューをふるまわれたのではないかと。

そこまでの記憶があるのにも関わらず、その記憶がひどく曖昧で、それは現実のことではなくて、たとえば夢の中の一コマだったよーにも思えるのであります。

引き戸には鈴がついていて、開けるとその鈴が鳴ったことも、向かって左側の部屋には黒いピアノがあり、妹さんが落書きしたというクレヨンの痕も覚えているよーな気がするのです。
「ボケたべが…」
自信がゆらぐのです。

それらは前世の記憶みたいにあいまい。
泥酔した翌日、知らない部屋で目を覚ましたよーな。

未来からやってきたタイムトラベラーによって、記憶を消されたのではないかと疑りたくなるのでございます。

なにしろ、遊びにいったはずの、自分が小学生だったのか、中学生か、高校生かもおぼろげなのでございます。

勇気を出して、草を分けて、「ごめんください」と戸を叩いたら、鈴の音ともにガラガラと戸が開くのでは。
奥から、野球中継のTVのアナウンサーの声が聞こえてくるのでは。
「いまお使いにいってるがら、すぐ戻ってくるがら、まずまず入ってで」
お母さまに促されるままに靴を脱いで上がると、そして振り向くと、誰もおらず、けれど襖の向こうでクスクス笑い声がするのでは。
その襖を開けると、家族全員が首つりしている幻影が見えるのでは。
いいえ、私メが首をつっているのでございます。

いやいや、そもそも私メは、この家を知らないのではないか。
「工藤くん」
その名字が口を次いで出てきたのであります。

避けがたい死の引力を強く感じましたです。

奇妙な朝なのでございます。
いつもならジョキングや犬の散歩など、数人の姿をかならず見かけるのでございますが、今朝は無人。
夢でも見ているのかと、ほっぺたをつねったり、
「飛べ!」
と両手を広げましたが、やはり夢ではないのでした。

好奇心というのか、やはり引力なのか、そういう衝動をひっぺがすよーに、後退し、一目散に、廃屋から遠ざかり、広い場所にたどり着きました。

が、そこはかつては釣り堀。令和になって廃園と化した荒れ果てた湖面が、そこにあるばかりでございました。