2022
02.03

節分に撒く豆は、私メは南京豆にしております。

炒り豆が本来なのかもしれませんが、昔から、コレにしておりますから、変えるつもりはないのでございます。
幼い頃は、銀紙に包まれたチョコなどもあり、叔母たちや妹と争って拾ったのでありました。

やがて弟が生まれ、11歳下の、その弟を喜ばせよーと、鬼のコスチュームを身にまとい、バケツ一杯の南京豆を叩きつけるのであります。弟は途中から怯えて泣き出すのがまた楽しくて、それがオノ家の節分なのでございました。

その弟も50代後半でございまして、すでに私メより額に皺が寄り、髪の毛もこころなし薄くなっているのであります。

豆まきの豆が、夏のあたりに、思いがけないところから見つかるのも、また趣のあるもの。
湿気った豆を口に入れると、
「しやわせだったなぁ」
などと郷愁に近いものを噛み締めるのでありました。

2月4日は、もうひとつ、あるお女性の命日でもあるのであります。
高校のクラスメイトで、ひどく人目をひくキュートなお方で、恋をするために生きているようなお女性でありました。週替わりに好きな相手が変わる、まぁ、どの学年にも一人や二人はそういうタイプがいるものでございますね。

言っておきますですが、私メは一度として、彼女に心を揺らしたことはございません。

それでも電話がかかってきたり、雪道をバカ話をしながら帰ったことは数回あります。
卒業式の日に、
「モリオカ、好きなんだ、わたし」
別れ際の、その言葉が、記憶から消え残っているのであります。

風のうわさで、彼女が東京の女子大を卒業したこと、モリオカに帰ったこと、結婚したこと、子供を産んだことなどを耳にいたしました。そして病気で倒れたということも聞きましたです。
それは27歳でありました。
後年、占いを覚えてから、四柱推命で調べましたら、27歳で命運が尽きる大運が到来していたのには唖然といたしました。

それほど懇意にしていないのに四柱推命を持ち出したのはワケがございますです。
ある音楽会で、同席した偶然がございました。もう42歳になっておりました。
彼女は、歩くこともおぼつかず、なのに薬のために20分にいちどトイレに立つ頻尿の副作用を抱えておりまして、そのたびに私メが付き添ったのでありました。
「…こんなになっちゃった」
「男を手玉に取ったバチだな」
ジョークでも言わないとやりきれません。
「オノくんに言われたくないよ」

それから数年して死の報せが当時の担任からもたらたのでございます。

鬼は外。福は内。鬼は外。