2022
02.05

断易はサイコロや筮竹やコインで、陰陽を出し、そこから卦を立て、立てた卦を解読していく作業が特徴でございます。

習いたての頃、
「こんな博打みたいな、ふざけたヤリ方で、人を占えるものだろうか?」
その疑問が、まず浮かび、何年たっても、
「バカなことに夢中になっているのではないか」
と月謝を払い続けてイイものかと、最初の情熱が冷め、ケチになっていくのでありました。

そんなとき、たまたま立ち寄った博物館で恐竜のレプリカを目にしました。全長が館内にやっと収まるほどの大きな恐竜でありました。

その恐竜の化石が全部出てきたのではなく、ほんの足の欠片の化石が発掘され、そこから全体像を推測したのだと解説されておりました。
その解説を読んだとき、
「断易に似ている、どこか」
ふと思ったものでした。

帰りのバスの中で、女の子が父親らしき男に、雲を指さして何か聞いておりました。すると父親らしき男が、
「あの山のところにな、あんな雲が出る言うことはやな、もうじき雨が降るよ」
その通り、宿に着いたら雨でした。

そうか、と思いました。
恐竜の足の欠片の化石や雲と同じく、断易の卦は全体の運命の一部なのだと。その一部から、原理や法則によって運命全体を判断していくのだと。サイコロの目の偶然は、自分の運命の欠片ということなのだと。

画像の毛糸。ビニールコードに無意識に巻き付けたものですが、私メの心の中のエロとしか見えないのは、やはり春の悪戯なのでしょーか。