2022
05.21

小学校の頃、宿題が何だったか忘れ、同級生の女の子の家に教えられに、この画像の道を歩いたのでした。
しかし、廃道となり、クルマの轍が草に隠れ、フキがそれを覆っていたのでありました。
家も廃屋。

あの時、女の子のお姉さんが出てきて、不愛想に、
「いません」
と言われ、引き返えそーとしたら、後ろから追いかけてきたのでした。

いまでも、なぜ、お姉さんが、不在だと嘘をついたのか謎でございます。
その女の子はとてもフランクでして、誰へだてせずに付き合っておりまして、私メの家にも、何人かで遊びにきたものであります。
夏にはプールに誘われ、高松神社の祭りにも「いっしょに」と浴衣姿で立ち寄ったりしていました。
「いつか大人になったら17歳になったら池でボートに乗ろう」とも約束しておりました。

そういうさっくりとした性格の女の子は近所にはめずらしく、彼女は仙台から越してきたからかもしれません。
その彼女は、クラス替えがあった翌月には、どこかに転校したそーであります。

当時、モリオカは治水工事の一環として、近隣の村をつぶしてダム工事が行われ、工事関係者の人たちが、市で用意した住宅に住んでいたのであります。小学五年生の時点で70人のクラスが7組までに生徒の数が膨れ上がりました。そして工事が終わると、次の現場に引っ越していくのでありました。
私メは、思春期が近づいていたためか、彼女のことが、いなくなってはじめて切なく思い出され、この道を行ったり来たりして感傷の甘い痛みに耐えていたのでした。

「いません」
しかし、女の子ではなく、お姉さんの、ひと言ばかりが思い出されたものでございます。

そーして遠回りして池に向かいましたです。
草刈りで疲れた腰をさすりながら、自分の年齢、そして同い年の女の子の齢を考えるのでした。

日曜日だというのに池は閑散として、いっそうのボーとも浮かんでおりませんでした。
女の子はどんな人生を送ったのか。
生きているとすれば、どんなお婆さんになっているのか。
誕生日のパーティーをしたので生年月日を知っていたはずでしたが、遠い昔のことなので完全に忘れてしまっているのが残念でなりませんです。

生年月日から、彼女のいくつかの人生の送り方を推理できたのですが…。
そーです。同じ誕生日でも、名人であれば、24種類の人生のパターンを考えられるということてあります。
そこから「ちがう、これも違う」とふるいにかけ、残った一つが、的中するのでございます。
私メはせいぜい12パータンでしょうか。

「いません」
と腕組みしたお姉さんが、女の子に与えた影響はどの程度なのか。

運動会の写真には、女の子が私メに肩組みしております。私メは裸足足袋の片方の足を上げて照れております。
UPしよーかと迷いましたが、オショシイのでやめておきますです。