2022
07.09

明日も十傳スクールなのであります。

先日、神保町にいったさいに買い求めた断易の本にざっと目を通したのですが、
「違うのではないか?」
首を傾げる箇所がずいぶんとございました。

卦に「血を通わせる」という、断易最大のポイントが感じられないのであります。
もちろん、そういうポイントをたかが1万円、2万円ていどの本に、著者が記すことはいたしますまい。
しかし、それであっても、解釈と解釈の間に、つまり行間の間に、
「えっ?」
不思議な空白があり、やがてそれが、「そーであったか」と納得する空白であることが分かるのですが、その空白さえないのでございます。

断易の原則は、人間の生活と密着しております。
どこが、生活と密着しているかが分かった時、それが断易を本当の意味でマスターした瞬間なのでございます。

月破の意味の数々、空亡の意味の数々、旺相とは何か、休囚しているとは何か。
そもそも月建では旺相なのに、日晨から剋されているということを、いかに自分のモノとして理解できるか。

講義の内容に抵触するので、詳しくは申せませんが、歌い手がいて、その歌い手が、歌が下手でも、これからブレイクするのか、それとも、実力がありながら落ち目街道を行くのか。
これらを断易の原則どおりに読み解いていけばイイのであります。

しかし、これらの気配すら、本には書かれていないのでありました。

「もうすこし頑張ってみよーか」
この気持ちにさせられたのが、買い込んだ本の出来の悪さの、成果だったかもしれませんです。

納甲すら満足に暗記しておらず、表を見ながらボードに12支及び、五類を書き写す先生方のなんと多いことか。

庭にバラが咲きました。
すこし勇気が湧いてきましたです。