2022
07.11

東京五輪が決定したのは、いつだったでしょーか。
もちろん、私見でありますが、年号を平成から令和に改めたのは、五輪を成功させようとするたくらみがあったのではないか。
つまり高齢の平成天皇が、五輪開催中か、その前に何かあっては支障があると危惧したために手を打ったのだと。
当時の総理大臣は、安倍晋三。
しかし、2020年の開催は、中国人が故意にバラまいた新型肺炎のために、一年延期したのでありました。
安倍は、その秋に下痢のために退陣。
翌年、悲願の五輪が淋しく開催されたのでありました。

年号が令和に改まる前年の、2018年の7月6日、オウム真理教のボスに死刑が執行されたことは、
「ああ、そーいうこともあったなぁ」
古い記憶ではございません。
死刑台の階段をのぼり、首にロープをかけるやいなや、足元の板が開き…。
2022年、7月8日、山上徹也によって、安倍は、射殺されたのでありました。
オウムのボスの命日にひどく近いのでありました。

動機は、宗教団体に対する恨みとか。

が、その点が、どうもしっくり腑に落ちないのは、多くの方々も同じではございますまいか。
そこにオウムをひっかけることで、オカルトが誕生しそうであります。
まあ、政治家として暗殺されることは覚悟すべきことで、凶弾に斃れたことは本望であるべきでありましょう。

振り返れば、令和になってのち、なにひとつ良いことはありません。
世の中は、「これでもか!」と言わんばかりに、地獄の泥沼の底へ底へと引きずられていくのでありました。

数々の悪行を重ねたのに、メディアは自民の顔色をうかがうかのよーに、安倍を祭り上げており、「国葬だと!」などの声も上がっておりますです。
一方の、刑場の露と消えたショーコーはといえば、いまだに「その名を耳にするのもおぞましい」と汚いものに蓋をしておるのでありましすです。
怨念は、凄まじいものでございましょー。そー考えれば面白い、じつに楽しい。

私メの実家、オノ家でも宗教トラブルの泥沼は、いまだに収束していないので、よく分かりますです。
老母が信じている新興宗教を、髪の毛が抜けるほど憎みつつ、はんたいに老母を袋叩きにする親族に対して「成仏はさせぬ」ほどの怒りを持つ矛盾した複雑な感情から抜け出せないでいるのでありますから。
ここから抜け出せぬ限り、私メに平和が訪れることはございません。

同様に、日本もまた、さらなる地獄が広がることでありましょー。
菅原道真にならって天満宮をつくって祀るのも、「まさか」ですけどね。

一人の人間がいた。それが、一つの生き方をして、死んでいった。
それでイイのであります。
生きるということは、周囲に対して善悪を振りまくという宿命を持っているのでありますから。