2022
09.27

モリオカの蕎麦屋には、画像の黄色いヤツ。
ゴンパチが薬味としてついてきますです。

ワサビはほとんど、
「ない」
のであります。

ワサビを頼みますと、
「あんゃ、お上品だごどぁ」
と店員にバカにされた目つきで見下ろされ、SBのチューブのおろし生ワサビを放るように置かれたりいたしますです。

ゴンパチは権八。権八辛子であります。
大根に南蛮を挟んですりおろしたヤツ、通称、もみじおろしでございますです。

モリオカは蕎麦が名物でありますけれど、死ぬほど美味いというほどではございません。
新潟のヘギ蕎麦には遠く及ばないでございましょー。
死ぬほど美味いのではなく、死ぬほど満腹になるまで食わせるのがモリオカの蕎麦。

が、権八を入れますと、美味に変わります。

そして権八では、
「物足りない」
というお方は、数日前にUPしました一升漬けを加えるのであります。

というわけで、日々、こーいうものを体内に入れますので、高血圧や脳卒中で、便所で倒れ、そのまま死ぬというケースが多いのかもしれませんです。

私メは、この権八を、蕎麦にそのまま振りかけて食しますです。
ざる蕎麦は、紅葉のように染まります。

九月、モリオカは、まだ紅葉には少し早いのであります。

2022
09.26

モリオカに戻ると、声を出す回数が極端に減るのであります。

老母とは朝昼晩の食事の時だけは顔を合わせますが、
「勝手にしますから、そちらも干渉せず勝手にどーぞ」
こういう有様ですから、
「今日はだれと話をしたかな?」
自問するまでもございません。

部屋はいくつかあり、その一つが画像の部屋であります。
ここには、鹿の骸骨が飾られております。
大の字になって、鹿の骸骨を見上げておりますと、だんだんと私メも鹿になって、森を駆けている空想にひたれるのであります。
その空想を邪魔する物音も届かないのでございます。

建て直す前は、この二階の部屋は八畳の畳敷きで床の間があり、私メの部屋でございました。
東に大きな窓があり、朝日が眩しく射して、睡眠妨害のこの部屋に腹が立っておりました。
そこで東に窓はございません。
窓のところには、この鹿の骸骨。

「死んでしまったものはイイ…」
じつに良いのであります。
やはり、人は30代に死んでしまうのが正しいのではないかと思ってしまうのであります。

坂本龍馬だの久坂玄瑞とか高杉晋作などの若くして死んだ維新の志士たちは、若くして死んだからこそ清々しい英雄として伝わっているのではないかと思うのであります。
彼らが50代だの60代まで生きていたら、たぶん汚職とかそーいう汚れが沁みついていったことでありましょー。

四柱推命で「汚玉」という言葉がございます。
辛という宝石が、己の泥に汚れてしまい、悪しき知恵のために使い物にならない宝石となってしまうのであります。
それとは別に、庚が壬という水に浸かっていると、汚玉とは別ですが、透明の膜が庚を包んでしまう場合がございます。
これを白い錆と申しまして、やはり庚の人格が腐るのでございます。

人も長く生きすぎると腐るのであります。

鹿の寿命は詳しくは知りませんが、人はあまりにも長生きしすぎ。

私メもウンコを洩らさぬうちに死なねばなりません。

2022
09.25

「汚されてはおるまいな」
昨夜、私メだけの池に侵攻して、花火まで打ち上げ領有権をかってに主張してきた奴らに汚染されていないかを確かめに足を運んだのであります。

すると、アメリカ人と思しきデブがジョキングスタイルで、「グッドモーニング」と怪しげな声をかけてきたので、
「喧しい!」と一喝。
他人に挨拶されるのが嫌いなのであります。
他人ならば睨みあうのが普通。
やましいことをしているから挨拶をするのであります。

「いつか原爆を投下してやるからな」
この言葉がどこまで通じたか分かりませんが、デブは脂肪を揺らしながら去っていきましたです。

それ以外は、無人の池でありました。
「ああ、死んでみたい」
こんな日、ここでクタばったらどんなにか素敵でしょう。

明日とかではなく、いま死にたいのであります。

今年になってから、人の命はそれほど重いものではないと、露西亜の仕掛けた戦争で見えてきました。
サスペンスドラマで、「人一人の命がかかっているんだ」と内藤剛志が言っても、もはやジョークとしか通じません。
戦争の悲惨さを語り継ぐ平和団体の婆あに言ってあげたいです。
「お節介はいいから、黙って寝てろ」と。

ああ、人間になってしまったお女性を見たくございません。
湖畔で、ひとりだけとすれ違いました。
幼馴染のオババでした。毛染めをして皺で覆いつくされたそのお顔に、幼き日の面影が沈んでおりました。
10代の頃はドリコーで鳴らしたお女性です。
しかし、いまはもう人間でした。

大切な命など、湖面に移った幻影と同じで、じつはないのだと悟りましたです。

さあ死のう、みんなも死のう!
50歳を過ぎたら積極的に死んでしましいましょー。