2022
11.15

「っらっしゃい!」
親父似の、江戸弁で迎えてくれる二代目の、この、神楽坂の横町にあるトンカツ屋に数年に一度のわりあいで、トンカツを食いに行くのです。
手切りのキャベツに味噌汁にカツ。

私メが易者になる何年も前…20代のはじめの頃に、バイトのお使いとして定期的に回っていた店であります。
が、当時は、松戸にありました。
先代の親父は、帝国ホテルだったかのレストランでなにかの責任者で独立し、松戸駅からだらだらした坂の途中に、ほんの小さなカウンターだけの店を開いていたのでした。

行くと、帰りには、トンカツのイイ肉のところと、カレーをお土産に持たせてくれました。
二代目は、まだ若く、なまっちょろい細身で、親父のわきでキャベツの千切りを切っておりました。
「息子は筋がある」
親父はすこし自慢でした。

私メは、そこでカレーの作り方の奥の手を教えられましたです。
「コレとアレを入れるとプロの味さぁ」

後年、私メは、一年ほどカレーを軽四輪に積んで、大手町でカレーの弁当屋を無許可でやることになるのですが、すべて親父さんに教わった作り方を踏襲したのでございます。

あるとき、神楽坂に突然にトンカツ店を移転したのでした。
当時、神楽坂はさびれておりました。
いまはオヒャレな街ですが、午後八時ともなると明かりも消え、いまのロイヤルホストのところに、やすい飲み屋があり東洋経済社の社員たちが飲んだくれるくらいで、衰退した町でありました。
「夢だったんだよね」
それでも、親父は神楽坂に出店したことをとても喜んでおりましたです。

その親父は、10年後、糖尿病にたおれ、目も悪くなり、歩行も困難になり、店は息子が継いだのでありました。

いわば、私メにとって、このトンカツ屋は前世の自分を眺めているよーなもの。
いまではデップリと貫禄のついた二代目は、
「どこかで会ったことがある」
不思議な眼差しで私メを眺めます。
私メは、その視線を避けるよーに、背中を向けられる場所に座り、
「カツ定食を」
その空間と時間は、頼りなく不安で失敗の人生に閉じ込められた20代のむかしをリアルに思い出せる貴重な世界なのでありますです。