2023
03.28

兄弟子に言われたことがごさいます。
「女がキレイに見えたら気をつけろ」
失明の予兆だというのであります。

もちろん、これは比喩でして、人相見は多く、目をやられるらしいのであります。
普段は使わない眼力で人を見るからであります。

さいきん、その言葉がなんとなく理解することができるよーになっております。
私メの占いは、人相を主体とするものではございませんが、やはり鑑定中は、お客様の人相を観察するのであります。
顔のどこに線があるとか、どこの部所にホクロがあるとかではなく、いや、そういう場合もございますが、それよりも立ち上る「気」をうかがうのであります。
「これは、これから運気が明るい」とか「すこしヤバくなっている」
などであります。
血色や気色の分野で、この力をあまり使いすぎると、鑑定後は激しい疲労感に襲われ、仮眠が必要となってきますです。
しかし、「適当にやればいい」と言われても、それはなかなかできません。

印象派画家の巨匠、モネも晩年は視力を落としながら有名な「水連」その他を描きましたが、あの水辺の異常な美しさは、正常な視力ではとらえきれなかったかもしれません。

私メも、鑑定後のかすんだ目で、事務所の入り口から神楽坂の空を仰いだ時など、
「これは危険だ」と思うほど水連の絵画のよーな危険な美しさに、ヤバイ、ヤバイと感じ入るのでございます。

自分で立てた断易の卦を見やりつつ、
「この判断は自分でも分からない」
自分の知識のどこから、このよーな名人っぽい断を下せたのか不思議に思うことが度々なのであります。
けっして自慢しているのではなく、私メが名人だと誇っているのでもございません。

ゴッホは発狂し、ユトリロは手首を失い、作曲家のベートーベンも聴力を失った。
恐山の巫女は、幼い頃に畳針で目を刺し、霊力を得たとか。

おそろしや、おそろしや。

お女性がイヤにキレイに見えてなりませぬ。

2023
03.27

先月、通行止めのゲートを開いてもらい秘湯を楽しんだことはUPしております。
「さて、どーなっているか」
とクルマを走らせましたところ、雪かさは少なくなっているものの、依然としてゲートは閉ざされたままでありました。
誰にも知られたくない、来てほしくないという経営方針なので、地域の観光パンフにもまったく記されていないのであります。

夏に行ったとき、
「いぜんマスコミに公開したら、バカ芸人がきやがってよぅ」

ふざけられて散々な目にあったと、その時の画像がアルバムに収められていて
「なるほど、これはひどい」
の有様でありました。

ゲートのまえでたたずんでいますと、寂寥感に襲われるのであります。

となりの老母はポカン。
「姥捨て山っかぁ?」
「んだ」

仕方なく蕎麦屋がありましたので、昨日にひきつづき、またしても蕎麦。
蕎麦屋と言っても、掘っ立て小屋同然なのであります。
そして、窓外は、いつしか吹雪に。

メニューと言われても、蕎麦しかないのであります。

ところがです。
仰天するほどの美味さ。
これぞ「おそば!」なのでありました。

ぜったいに、教えられない、ここも。
固く決意するのでございました。

 

2023
03.26

仕事をしていましたら甥っ子がやってきました。妹の息子であります。
けっこう太ってやってきました。
身長が185センチほどありますから、それが太って見えたということは20キロ増だと目測いたしました。
「的中!」
ゴマをするのでございました。

今年で30歳になるとか。
「と、いうことはあと10年で40だな」
我ながらイヤなことを申しましたです。

が、男にとって30代はじつに苦しい期間でございます。
その苦しさが40代50代まで続くのか、そーでないかはやはり30代の過ごし方なのであります。
男は…と書きましたが、お女性はそれ以上かもしれませんですね。

勝ち負けにこだわり、勝てば勝ったで苦しみ、負ければ負けたで苦しみ、では人生に勝つということは何なのだとすべてがバカバカしくなったりもいたします。

俳優の東出ナントカに似ていましたから、「モデルになればどーだ」と勧めたこともございましたが、もはや甥っ子は年齢的にも肥満的にもそれを勧めることはふざけ過ぎております。
高校を卒業後、名古屋あたりに就職したが、昨年に岩手県に戻ったことは妹から耳にしております。
「オンナは出来ないのか」
「ぜんぜんです。なにをやってもダメっぽいです」

相談っぽい顔をしていましたが、身内の相談ほど危険なことはございません。
「メシを食いにいこう。ナニがイイ?」
「中華」
瞬間的に、蘭丸さまが浮かびました。
「いやよそう、蕎麦にしよう」

甥っ子の運転で、蘭丸さまが働く中華屋とは正反対の店に向かったのであります。
「ずいぶん運転が上手いな」
褒めることはソコだけでありました。
「ちっとも揺れを感じない」

人はいつかかならず死ぬ。それが早いか遅いかの違いがあるだけで、その宿命から逃れることはできない。
自分で自分の人生を満足できないのであれば、そして、ほとんどの人間は満足することはないのでありますが、であれば、他人にとっての「質問」としての人生であればイイのではないかと思うのであります。

「上手い、上手い、才能がある」
「ですか」

とたんに道のくぼみに後輪を落とし、車が大きく揺れました。異常を告げるブザーが短く鳴りました。
「……」
「……」

帰りに、甥っ子のクルマにガソリンを満タンにしてあげました。
数少ない幸せのなかに、ガソリン満タンがあるからでございます。