2023
04.17

1990年後期の写真でしょうか。
京都の晴明神社であるところを見ますと、雑誌の占い特集の取材でのスナップ写真でございましょう。季節は夏。

どうにか占いで食っていけるよーになったあたりであることは間違いないのであります。

私メは1994年に最初の本が出版され、雑誌などの原稿料が入ってきましたが、バイトみたいなヤツを掛け持ちしながらの危なっかしい低空飛行でございました。
占い一本で独立したのは、1998年の秋であります。44歳でございました。

バイト先を辞めたとき、商店街の放送に、泉谷しげるの「春夏秋冬」が流れていたのが印象的でありました。

あとは我武者羅な原稿作成の日々でございました。
鑑定客は皆無でありました。

原稿なども初めは、「ギャランティはいくらですか?」と尋ねてイイものかどーかも分からず、二か月後に振り込まれる金額で胸を撫でおろしたのでありました。
いまでこそ、
「このくらいでは書けません」
とハッキリと意思表示ができ、相手が、「それでは今後は私どもの雑誌では執筆できませんが、それでも…」と半ば脅迫的な言葉にも、
「お引き取りを」
平然と言えるよーになったのであります。

画像では威張って右手の人差し指を立てていますが、完全な編集者の犬でございました。
「出張は、グリーンでなければ困ります」
などとは言えず、三人座りの真ん中の席が送られてきまして、甘んじて京都に向かったのでございました。

しかし、今思えば、それも楽しい思い出でございます。