2024
10.28
妹とランチを食った店の空き地に、ポニーが飼われておりました。
粗末な柵につながれ、ただ草を食むだけ。
ひとつの想念に囚われ、そこから抜け出すにも抜け出せぬ、それはもしかするととやわせかもしれぬし、不幸せかもしれません。
空亡という二文字が、そのとき頭の中に浮かびました。
もっぱら断易で空亡を講義しておりますが、四柱推命でも「空亡の解」というものがございます。
しかし、空亡を悪くとらえるケースがほとんどです。
天中殺とかのおどろおどろしい名称をつけられ空亡はまさに悪い運命の象徴でもあるかもよーに。
でも、空亡は良い働きもするのであります。
忌神が空亡なら、その悪さは軽減されるというよーに。
また空亡が、年支、月支、時支のどこにあるかによっても、その作用はことなりますです。
半空とか解空、互換空亡、彼我空亡もございます。
十二運とのからみもございます。
と、だんだんと面倒くさくなりますが、言えるのは、空亡は吉凶両面があるということであります。
四柱推命で、空亡の役割は、断易に比べると、それほどの重要度は高くございません。
十傳スクールの調候用神法の講義でも空亡は扱いません。
とは、言いつつも、空亡を気にする方々はいるのは当然かもしれません。
毎年、Xmasセミナーで、占いの講義をしていますが、今年は、この空亡を扱っても悪くないかもしれないと思うのでありました。
そのときボニーちゃんも、こちらを「んだ」というよーに振り向きました。
2024
10.27
運勢の判断で、自分を見るのがイチバン難しいのであります。
とくにビギナーは、自分を良く見たいという気持ちが強く、未来の幻想を待ち受ける運勢だと勘違いしがちであります。
画像は岩手県にある、とある硫黄の廃鉱であります。
かつては天上の楽園と称され、一万人以上の炭鉱夫と、その家族が住んでおりました。
東京から流行歌手がきて大ホールで歌っている画像も残っております。
その繁栄がいっきに衰退したことを誰が信じていたでしょーか。
が、硫黄の需要が失われていくことは、すこし賢い人なら数字をみれば予測できたはずであります。
それでも、「大丈夫」と宗教的な妄想が、危機的な状況を現実としてとらえられなかったのかもしれません。「ダメになっても国が救ってくれる」とか。
国はあてにはなりません。
宗教も無駄。
知り合いも自分のことで精いっぱいなのであります。友達はチャンスのキッカケにはなりますが、ピンチとなると四散いたします。
運勢が崩れるのは、崩壊が始まる五年前あたりから始まっております。
私メでいえば、それは2008年頃からでした。
収入のほとんどを原稿料と携帯電話の占いサイトでまかなっておりました。
そこに出版不況が押し寄せてまいりました。
しずかに原稿依頼が減り、あるいは依頼ページが少なくなり、連載がたてつづけに終わってしまったのです。
そのまえに父が死に、プライベートの環境が変化し、信頼していた親戚が、じつは敵だった現実に直面しておりました。
そして東日本大震災であります。
携帯電話の占いサイトの売掛金が未収となり、収入が三分の一まで減少したのであります。
もう楽観視はできませんでした。
「大丈夫」と言っていた同業者の多くが事実上の廃業となっていく様をみるのは、その二年後。
自分を占う場合には、最悪のケースを、勇気を絞りだしてチェックしなければなりません。
生年月日そして大運には、その最悪を救うヒントが隠されております。
同業者から、ヤバイ事態になりそうだという連絡を受けたので、ちとUPしてみましたです。
2024
10.26
やはり老いたのでしょーか。
モリオカの実家に戻るなり、最初に買うものは花なのであります。
床の間の花、仏壇の花、そしてキッチンの花。
その花を眺めつつ、やがては泪する日も遠くないかもしれませぬ。
画像では見えませんが、キッチンには、このほかに三種類の花がかざられ、四方の壁にはドライフラワーがくくられております。
お女性からの卒業?
それはまだ、すこししてからにはなりそーですが。
しかしながら花を飾ると部屋に命がともるよーな錯覚を覚えます。
夕べなど、隣の部屋に飾ってある花から、
「そちらに行きたい」
と心に語りかけられた気がいたしまして、移動しましたら、なんとしおれがかっていた葉が生き生きとしてくるではありませんか。
今朝なんか、その花がキッチンの主人公のよーに威張っておりました。
と、いうわけで実家暮らしを仙人さんのよーに満喫しております。
むろん、夜はベロベロになるまでロック酒を楽しんでいることはいうまでもございません。