10.22
おととい絶処逢生についてのブログは反響がございまして、お問い合わせからのメールが多かったです。
ご返事は送りませんでしたが、この場をお借りして、「ありがとーございます」であります。
どん底にいる時期は、それは苦しいものであります。
藻掻いてもどーすることもできません。
暗いトンネルを歩いているよーなもの。
出口とは反対の方向に歩いているのではないかと疑う事もあるのであります。
それが12運でいうところの「絶」の時期。
しかし、かならず「長生」の光が訪れるのは、これまた真実なのでございます。
開けない夜はないとか、苦労は報われるとかが、ソレであります。
ところが、ここが大切なポイントでありますが、人によっては、長生の光を浴びても、気が付くと絶の暗闇に至ってしまうのであります。
目にも止まらぬ速さで、長生→沐浴→冠帯→建禄→帝旺→衰→病→死→墓経て、ふたたび絶に居ついてしまうのであります。
なるべく絶の時期を早く切り上げ、長生の時期を長らえる。
ここに幸運の最大の力点があるのであります。
チャンスを掴んだら、そのチャンスを離さず、さらに広げていく方法。
そーです、方法なのであります。運命ではなく、人為的に長生を操れる方法。
不幸だった人が、幸運になったときにとる行動の副作用に、そのヒントがございます。
やっと幸運の光が射しこむと、いままでできなかった行動を取るのは当然でありましょー。
お酒を飲む。飲み屋に行く。欲しかった物を手に入れる。クルマとか家とかでしょうか。積極的になる。交際の範囲が広がる。
もっともっとあるでしょう。
しかし、それら幸運になったときの行動に隠れて気づかない副作用があるのであります。
奇門遁甲で金運の方位を使った時に、迫力が付くのですが、同時にがさつになったり、傲慢になったりいたします。
そういう副作用が重なると、長生の光が陰ってしまうのであります。
具体的な副作用の現象は省略いたしますが、この点を深く追求することで、楽しい運命か苦しい運命かね、それが分かれるのでございますです。