2025
01.31

モリオカ駅に貼っていたポスターであります。
おそらく岩手県と秋田県の県境の国見峠の付近でございましょう。
この峠は峻厳でございまして、県境というには相応しい峠なのであります。
その昔、八幡太郎義家軍と清原軍によって滅ぼされた安倍氏は、この峠の地理的条件が、西側からの攻めを甘く見て油断していたのでございましょー。

八幡太郎義家は、前戦では安倍軍に敗北の連続でありました。
が、京に戻り、大江匡房から戦術を説かれ、その後の戦で、安倍氏を亡ぼすに至ったのであります。
さて、安倍氏の娘と婚姻したのが、八幡太郎から寝返った藤原経清。その息子が藤原清衡。これが奥州藤原氏の始祖となるのでございます。幼少時は敵側の清原氏に育てられ、兄と弟を殺し、八幡太郎と手を結び、しかし、最後には八幡太郎を罠にはめて都に追い返し、平泉の100年の繁栄を築いたのでした。

この歴史を読み解くと、フェイク合戦っぽいことが多数、浮かび上がります。
前口上が長くなりましたね。

30年以上前に、私メもフェイク戦略を用いたことがございます。呪術もですが。
ジプシー事務所を追い出された10か月後、幸運にも出版とイベントの主宰の話が舞い込みました。
しかし、味方はゼロ。だれも信用できません。野良犬のよーでありました。
出版は別として、イベントの占い師の10人を決め、そしてハウステンボスという長崎の会場を、どのよーに彼らから隠すかに知恵を使いましたです。
追い出される前に、私メは「いつかはハウステンボスでのイベントを取ります!ジプシー事務所の発展のために」と公言し、「ぜひ頑張ってくれ」と握手までされたのでありました。「ムッシュー頑張ってぇ」のメンバーの声はいまでも耳に残っております。

皮肉にも、その営業努力が、イベント会社から、私メ個人に向けられたのでありました。
が、得意になって正直に公表すれば、妨害が入ることは必定。
そーいう業界なのであります。

そのころ、味方顔をして私メの近況を聞き出そうとするジプシー側の女スパイがおりました。彼女を逆手に利用し、イベントは札幌だとフェイク情報を流したのであります。雪まつり会場だと。

さて、まず10月に単行本が出て、そこで敵側にショックを与えました。
ジプシー側は、TVのパフォーマンス主体で、出版からの依頼は皆無。紙媒体を激しく求めておりました。
女性誌の取材が舞い込んだだけで50人のメンバーを全員事務所に呼んだほどであります。

「ムッシューめ!」
と地団駄を踏んだだけでなく実際に単行本を引きち切ったと、女スパイから聞き及んでおります。

そして正月のイベント。
メンバー10人の中に、スパイや裏切り者がいないとも限りません。用心のために予備要因の占い師も二名付けました。占いを一夜漬した飲み屋の女の子でありますから、その点は安心。
大成功したと言ってもイイでしょう。

ジプシー事務所は急速に衰退。が、その程度では手ぬるい手ぬるい。徹底的に完膚なきまでに打ち滅ぼさねばなりません。
復讐という名のスープは冷めた頃が一番旨いのであります。
翌年の二回目のイベントがスタートする二日前に忘れもしない12月30日、ジプシー死すの報告を羽田空港で聞き及び、
「そーですかぁ」
と顔半分は愁い顔、半分はドス嗤い。洗面所でなんども顔を洗ったのでございます。

追い出されるとき彼に捨て台詞として、言っておくが、
「オタクは二年後はこの世にいないだろう」
と、彼を指さしたことを思い出したのでした。
害し奉るだけでなく、ジプシーの名も、未来永劫、抹殺するつもりでありました。
なぜなら、彼が私メに告げた言葉が「ムッシュー、名前を大切にしろ」だったからであります。
ジプシーが、その言葉の中に、自分の名を残したいという願いが、隠されていると直感し、その大事な大事なお名を抹殺してやることも愉しいだろうと、ひとつ弱味を握ったと思ったのでした。

ちと興奮して書き過ぎましたが、フェイク情報で、相手も味方をも翻弄する手法を、占いとともに変幻時代に操ることはとても大切だということを言いたいだけでありました。

この経験は現在の鑑定内容に活かされております。

誤解のないよーに弁明いたしますが、私メは銀座ジプシーさんは好きでした。ホントですよ。
しかし、戦いなのでありました。戦いとなれば勝たねばなりません。ただそれだけ。

冬の秋田新幹線、楽しそーであります。

2025
01.30

昭和30年代の写真であります。
オートバイにまたがっているのは、ですから私メとは関係のないお女性。
生きていれば80代でございましょーか。

もしも、この写真を眺めることがあれば、自分もこんなに若い頃があったのかと養老院の片隅でうつろに懐かしむかもしれません。
あえて、「なぜ、わたしは…」と後悔の念をねじ伏せるかもしれませんですね。

鑑定をしていますと、
「なぜ、そんなに他人の目を気にするのか!」
と、こちらの方がじれったくなることがしばしばございますです。

とくに開運期に突入しているお方に向かって鞭でしばたたきたくなることがございます。
「運気は満ちているのに」と。
「いま活動せずに、いつ活動するのだ」と。

開運期が到来しているだけでは開運にはなりません。

その開運期がどーいう種類の行動を求めているのかを知り、その通りの行動をすることで人生が輝くのであります。
が、多くの場合、「開運の時期が来ているのですね」と形ばかりのガッツポーズを作るだけで、同じ日常から出ることは致しません。
「やれない」「行動しない」という負の口実はいくらでも出てくるものであります。

周囲から嫌われていないかとか、時間がないとか、悩み事がすべて解決してから、とかとかとか。

が、反対に開運期に勇気を出して行動したお方は、夢のような発展を遂げております。

30年以上の実占鑑定で、実際にその現場に立ち会っているのであります。

古い写真は、「あのときどーして行動しなかったのか」の後悔を防ぐ手立ての一つかもしれません。

2025
01.29

旧暦の1月1日ですから、招きタヌキをお贈りします。
財宝の神様、ということであります。

モリオカの散歩道にありながら、目立たぬよーに捨て置かれた七福神の一つであります。
人は別の景色ばかり見ておりまして、誰と一人として、この招きタヌキの存在を知りませんです。

と、いうことは、ここで祈りを捧げれば、財宝を手にする夢が現実のものとなるはず。
有名な神社に大勢の人々が詣でても、いちいち願いを聞き入れてくれるはずがございません。
淋しい神様だからこそ、「よくぞ詣でてくれた」とばかりに、お土産付きの財宝までプレゼントしてくれるのではないかと。

ただし、「お金をよこせ」とかと祈ってもそれはお門違いの願いであります。

たとえば私メなら、「よい占いが出来ますよーに」と祈ることで、占いの腕があがり、結果的にお客様が途切れないこととなり、それが財運につながるというわけであります。

食い物屋を営んでいるなら「美味しい料理が出来ますよーに」だし、画家ならば「良い絵が描けますよーに」という祈願こそ、タヌキに通じるのであります。

ここを間違えてはなりませんです。

お札が木の葉になるのではなく、木の葉がお札になるのであります。
この世のファンタジーはファンタジーではございません。