2025
04.30

何種類かの眠り薬を手に入れましたです。

不眠症ではございません。
アッという間に眠りにつくタチでございます。

でも、眠り薬による不自然な睡眠という魔力には以前から興味がございました。

爽やかな大気は健康的で悪くはありませんが、クーラーという人工の気温調節も心落ち着きます。
これと同じ感覚で、人工的な睡眠を試してみたかったのであります。
クスリによって色々と効能の差があるみたいです。

「!」
愛人という言葉が脳味噌の中でスパークいたしました。

愛人と、軽くワインを交わした後、いっしょに眠り薬を口にいれたら、
「おお、ロマンツックだべじゃな…」
この誘惑でございました。

眠りが効き始まるまで、どんなお喋りをするのだろうか。
セックスは食事の前に済ましておき、眠り薬の服用の時は身だしなみを整えておきたいものであります。
白い麻のシャツが似合うかもしれません。
おたがいの手首を手錠でつなぎとめたいのであります。

そのうちスクリューに巻かれるように眠りに落ちるのでありましょー。
ああ、死にたい、死にたい、死ぬのは自由。

しかし、
しかし、翌日に目覚めるのは興ざめ。

しかし、しかし、しかし、練習であるなら…と。

2025
04.29

断頭台で処刑された夢をみました。

これは死と再生を暗示する吉夢とされております。
頭と胴体がキレイに切り離され、転がる私メの頭蓋骨を誰かが抱えて逃げておりました。

何が始まるのか、楽しみなのであります。
「あれであろーか?」
などと期待が高まりますです。

じつは35年前にも、処刑される夢を見たことは、以前ブログUPした記憶がございます。
占いは学んでいたのだが、これをどのよーにお金儲けにしたらいいのか分からずにいたとき、運命を好転する事態がございまして、その前夜に見たのが、自分が処刑される夢でありました。
いまでもハッキリと記憶しております。

が、35年後のいまみた自分が断頭台の露に消える夢は、はたして吉夢と断定して良いものかと、一抹の不安がございます。
あの時は、まだ若く体力的にも自信がございまして、その夢が吉夢として有効したのですが、いまは…。
自分の死の兆しをあらわしているのかもしれないとも解されますです。

しかし、吉夢だとねじ伏せる私メがおります。

運命が激変する、その時を老いたとしても期待してしまうのであります。

2025
04.28

恋愛鑑定をするとき、もっとも重視するのは、二人の恋愛の温度差であります。

ふたりが相手を求めていたとしても、かならずしも恋が持続するとは限りません。

それは、おたがいの恋に対する重要度の違いに原因があるのであります。

ふりかえれば私メも若い頃は、彼女を独占できるなら10代のすべての幸運を犠牲にしてもかまわないと思ったことを思い出します。
それが、だんだんと恋よりも仕事に対する重要度にシフトしてきて、相手との約束も仕事のために断ることが多くなったように記憶しております。

「好きだ」という気持ちには変わりはなく、「誰よりもキミのことを」と言葉にしたとしても、それほど深くは溺れていないのであります。
が、相手はどーでしょうか。
生活のすべてを恋を中心に組み立てている場合は、「好きだ」という言葉は、すさまじいパワーを有しているのであります。

男女が反対の立場でも同じでありましょう。

愛しているならば、まいにちメールをくれてるのが当然だ。という相手に、逢えないならメールをしたとしても仕方ない。という対応。
だからと言って、相手をないがしろにしているのではございません。

独身、既婚という環境でもございません。

つまりは心の温度差であります。

断易で、自分と相手の関係が生合したり、生じられたりしていても、力量が大きく違っていれば、たとえそこに愛情が存在していたとしても、一方は、相手を暑苦しく感じるだろうし、一方は、本当の愛ではないと感じることになり、やがては亀裂へと向かうのであります。

現実の生態を、いかに占いの骨組みに落とし込むことができるか。
ここに気づかなければ、何十年も占いを齧ったとしてもボンクラ易者のままでございます。