2019
10.28
10.28
ちと焼き過ぎてしまいましたけれど、シシャモの季節が到来いたしましたです。
なにごとも旬があるものでして、恋もまた例外ではございません。
焦って手に入れよーとしても、恋という果実は傷つくばかり。
ジッと待っていれば、手のひらに恋は熟して美味しく落ちてくるものであります。
また、恋は、その寿命をしるものかもしれませぬ。
昨日までは、そのような気配を見せなかったのに、ほんの会話のすれ違いから、雪が解けるように手のひらの指の隙間から去ってしまうのであります。
いや、気配はあるのであります。
熟す恋のばあいは、意味のない電話やメールを装って知らせますです。
滴り落ちる恋も、
「先週の月曜日に、渋谷に行ってきたの」
「聞いていなかったな」
と、かすかな不協和音を奏でるのであり、会話の端々に視線の変化をうかがえる単語が弾けているものでございます。
笑ってもいちまつのいら立ち。利害という別モノが棘となっております。
手のひらの熟した恋ならば、ぼさぼさな会話でも濃縮した甘さ。
いずれにしても仕方のない時の流れなのであります。
北の河川にはシシャモの群れが川面を黒く染めているのでありましょーか。
あとは焼き過ぎぬよーに、火加減だけに神経を込めていればイイのであります。
恋の始めには失言も許されます。
去り行く恋は、すべての言葉が氷の刃となるのであります。
一日、また一日と去る者は薄れゆき、その切なさは、
「昨日我慢できたのだから、今日だって逢わずに耐えられる」
と、意志力に頼るしかありません。
そのうちに新しい恋が、空白の領域を染めていくものでありましょう。
すべては運命、時の流れなのであります。
ジィ~~(待つ)
美味しい小野先生、落ちて来ないかな~
●十傳より→どの手のひらでしたか。
手に入れた恋が甘く濃縮していくのか
それとも甘くなるより先に腐り崩れるのか…
まずは一口、空白を埋めるように
無心に頬張ってみなければ
●十傳より→栄養になるか腹を壊すかは、また別の物語でございますです。
愛する人に 逢いたくても逢えない
言葉には出来ない辛いものがあります
●十傳より→ですか。
ししゃもには日本酒ですね。
●十傳より→んだね、ぬる燗だと最高であります。