2011
04.12

震災から一カ月がたった4月11日、思いたって大山阿夫利神社に向かったのでした。

昨年の夏の終わりに死んだ愛犬のセラーの遺骨を、この山に埋葬するためであります。

桜の花が膿んだように満開なのでありました。しずしずと桜の花が散る参道をのぼること15分。

ケーブルの登り口に到着。

歩いて登るコースもあります。男坂、女坂。この2コースです。が、筆舌につくせぬほどの急こう配でありまして、それと比べれば片道400円は安いモノなのてあります。

標高678Mまで6分でいっきに運んでくれます。

平日なので登山客はまばら。
ケーブルを降りると神社の中宮がございまして、そこで参拝。
頂上に奥の院があるのでありますが、そこに登るのはまた別の機会に。

けれどそば道をあるきますと、バッグの中の遺骨の入った瀬戸の入れ物が金属的な音をならしますです。

一昨年、やはり死んだ愛犬のゴウを埋葬した場所に、いっしょに埋めようと思ったのですが、その場所が分からなくなっておりました。

なので、だいたいの場所で良かろうと、大木の窪みの下に穴を掘りまして、そこに遺骨を流し込み、白い瀬戸の入れ物をかぶせたのでありました。

「これでせいせいしたわい」
と独り言。

ふたたび道を、逃げるように引き返すのでありました。

この大山は好きな山の一つでありまして、もともとは丹沢山系のパワースポット。雨乞いの神社として有名であります。
大山豆腐は名物。しかし、豆腐を買ったところで面白くも何ともありません。だいたいにして300円も豆腐に出していられません。
帰りに立ち寄ったのは、イノシシ鍋を食わせてくれる店。

ここの神社のお話は、まだありますけれど、今日はここまでということで。

  1. 昔、ケーブルが通っている所は、山伏がせっせを登ったようですね。

    全国の「龍脈」を研究してみたいです。

    ●十傳より→面白い裏の日本史のようなことも発見できたりするかもですね。

  2. いつもお忙しいなか、メールをかかさず頂きありがとうございます。先生もお仕事頑張ってください。私も今日シュークリーム買いに行きますよ。

    二十数年前に甲山大師の傍に十一年飼っていた小鳥を埋めに行ったことがありました。自分の名前しか言えない小鳥でした。機嫌の良いときも私を呼ぶときもぜんぶ自分の名前でした。微妙にトーンがちがうところが彼女の精一杯の表現でした。ビールの好きな彼女でした。十一年も経つと結構な高齢だったのでしょう静かに眠るように逝きました。自分を私と同じように思っていたのか鳥だとは思っていなかったやつでした。上品で賢く、ときに肩に来て寝てしまうような甘えたなやつでした。

    十傳先生の今回のブログ記事を読み終えて
    「これでせいせいしたわい」との独り言、なぜか伝わってくるようなものを感じました。

    ●十傳より→同感していただきホッとしております。愛するモノを喪失したとき、なぜそう思うのか分かりませんけど「せいせいした」という感情がにじむのは間違いありませんです。