2021
07.03

断易で、「絶処逢生」の用語があります。
用神が絶の運に入っているところを、生に逢って吉に向かう意味であります。
たとえば用神が日晨の絶に入ることは大凶でございます。しかし、ここで他の動向の生を受けたり、用神が動いて長生に化した場合、これを絶処逢生と申しまして、最初は凶、後になって吉に向かうのであります。

これを処世に置き換えるならば、誰の目にも絶体絶命の時こそ救いがあるという意味になるのでございます。

画像の文庫本の作者は、数年前に愛犬に死なれました。
激しい悲嘆に暮れ、見るも哀れでございました。
なので、
「仔犬をまた飼えばイイじゃないか」
しかし、彼は、
「オノさんではない」

仔犬を買う代わりに、何をしたかと申しますと、小説を書き出したのであります。
そそして横溝正史賞を獲得。

この文庫本は数作目にあたります。

「絶処逢生」と申さずして、なんと申しましょー。

悲しみや絶望は人それぞれ異なります。犬の死など取るに足らぬ悲しみだ、と言うものではありません。死病に冒され苦しみにのたうっている人を本当の不幸だと評するのかもしれません。しかし、悩みや、悲しは、他人の不幸と比較するものではございません。そんな失恋の悩みなんて軽い軽い、わたしなんかねぇ…と不幸自慢をしたところで空虚でございます。

ただ、見栄も外聞も捨て、誰の目にも、
「哀れ…」
と見える不幸、つまりどん底にはかならず救いの手が、別方向から差し出される軌跡を、易者である私メはいくつもの例で知っております。
断易で、
「かならずイイことがある」
と断じつつも、「本当か?」と自分の判断に首を傾げる時がありますが、しかし、やはり絶処逢生の奇跡は訪れるのであります。

ただ、たとえ小説で賞を取ったとしても、犬が生き返るわけではありません。
そこまで考えると、それは別の哲学や宗教の分野になってしまいますです。

断易の知識を知識やテクニックに弄していては、いつまでも未熟者。
断易は生きた教訓のバイブルなのでありますから。

彼のペンネームを語ってお仕舞にいたします。
愛する犬の名は「莞爾」
可愛い莞爾、に由来しておるのでございます。

  1.  小野十傳先生・易の事は正直全く判りませんが、絶体絶命の時にこそ救いが在る。仏教的な表現だと地獄に仏・占い的に表現するなら、こんな時代の世の中に十傳先生!ですよね。

    ●十傳より→易はバイブル。

  2. 映画や小説の中だけではないんですよね。
    自分という主人公は映像ではみられませんから。
    帯もなかなかオシャレなご著書ですね。

      ●十傳より→ですね。

  3. 「デッドマン」河合莞爾先生をオノ先生の2012年10月17日のブログに
    ゴホンゴホンと紹介されていました。

      ●十傳より→記憶が天才的でありますね。

  4. 確か、デッドマン  ドラゴンフライの作家さんですよね
    小野先生の福本銭を持ってると
    何かのインタビューだったかで読んだ記憶が…

      ●十傳より→そーなんですか。

  5. ブログの断易の記事が
    分かるようになってきましたヽ(^o^)丿
    授業の中の下ネタは、強く記憶に結びつくので、
    ありがたいです~

      ●十傳より→すべて講義内容とリンクしていますので、下ネタだけでなく断易の内容の方も記憶してくださいまし。

  6.  小野十傳先生・いづれは易体得します。ソレと、四柱推命、易の本等も当たり前ですが。小野十傳先生の本で揃えて独学します。何せ、只今無職ですが、十傳先生の奇門遁甲をきっかけに運を掴み、就活と恋愛勝利を目指しておる次第です。 

    ●十傳より→それはイカったです。