2021
07.20

猛暑の中を散歩いたしました。

そーしましたら、大きな建物が取り壊され、更地に変わっておりました。
どこにでも、よくある変化でありましょう。

ココに住んでいた人たちは、以後、記憶の中で思い出を語り合うことになったのであります。

しかし、それはある意味、しやわせなのかもしれません。

むかし新宿の大久保に住んだことがあり、そのアパートはまだ健在であります。
懐かしさのあまり、懐かしい鉄の階段をのぼり、つきあたりの部屋のドアの前にたたずみました。
すりガラスを通して現住民の食器だの洗剤だのが並んでおりました。
ドアは先住民だった私メに冷たいのでありました。
卒業した母校を再訪した時に感じる空虚さと通じるものがございます。
「奪われた…」
そんな思いなのであります。

ただひとつ、忘れていた当時の知り合いの名前が、上から下まですらすらと思い出されたことくらいでありましょーか。

更地を遠望しながら各地に散っていっただろう住民たちに思いをはせよーとしましたが、なにしろ知り合いでもないし、私メにとっては通りすがりの風景に過ぎなかったことをあらためて納得させられただけなのでございました。

ここで、笑ったり、怒ったり、希望を感じたり、絶望に陥ったり、ご飯を喰ったり、キスをしたり、叩いたり、そういう人間の平凡な日常が、時という風に吹かれただけのことでありましょう。
やがて建物が立ち、次々に入所者が集まり、でもそれも50年もすれば失われるのでございます。

子供の広場だけが残されておりました。

「未来」
と言ってみたかったです。
「未来、未来」

ふと、五輪から退避し郷里に戻ったら、
「被災地に行ってみっぺかな」

急造の馴染まない新しい町に立ったら、
「未来」
と言えるかもしれませんです。
風に消されるかもしれませんが。

  1. 道端に干からびた小さな蛇が落ちていました。
    おまじないに使えるでしょうか?

    ●十傳より→使えますです。封筒に入れ乾燥させておいてくださいまし。

    • 今朝拾おうとしたら、無くなっていました。残念。
      次見つけたら、迷わず拾います。

        ●十傳より→そいつは残念でしたね。

  2.  小野十傳先生・先人達の残してくれた未来の自然遺産などがあり、そこに何がしかの生命の大なり小なりの生きた明かしが在る。なかなか難しいモノが在りますよね。特に日本人は世界の2%しか居ないのに人口が急速に減り、高齢化が進んで年金などもヤバいとか、日出ずる日本国存亡の危機・・・この国にわ、救世主!十傳先生がいらっしゃいました。絶対、日本の未来は明るすぎる。

      ●十傳より→しかし日本人という意識が希薄なのであります。

  3. 同じく、日中は暑い夏を感じながら外を歩いて「昔より暑くなっているなぁ」と思う次第でした。
    冬の凍死と並んで、夏の高温多湿で起こる熱中症も死の扉の一つだなと、お金をかけて注意対策しなければと気を引き締めております。
    町街は生き物の如く変化を繰り返し、ついて行くのがやっとですが、近い将来は然程、変化しないようになるかと思います。
    そろそろ薔薇色の未来を信じるのは止めて、現実を受け入れないと駄目なのかもしれませんね。
    まあ、そのうち目の反らしどころがない状況に追い込まれそうですが。
    さて、取り敢えずはシャワーを浴びて日中の汗を洗い流し、空調のきいた部屋でのんびり過ごすことにします。

      ●十傳より→おパンツを脱いで股間に風を当てると開放感でたまりませんですぜ。

  4. 母校の再訪の感覚、わかる気がします。すごくそっけないんですよね。

    過去に、ふと、昔の恋人が住んでいたアパートまで行ってみたことがあります。
    甘酸っぱい思い出だけがじんわり蘇ってきて、感傷に浸ったりしたのですが、
    ガムみたいに、すぐに味がなくなってしまうんですよね。
    しばらく味のないガムを口の中で弄んで、最後はぺえと吐き捨ててしまう。

    わかっていても、過去を想うことには麻薬的な味わいがあって、
    思い出の場所なんかを訪れる機会があったりすると、
    やっぱり味わって、そして吐き捨ててしまいますねえ。

    先生のお話おもしろいです。

    ●十傳より→タイムトラベルみたいですよね。一瞬、その時の感覚に浸れるのも面白いです。