2021
09.29

曲がり角は魅惑的でございます。
そして誘惑的でございます。

まっすぐに進めば何の問題もないのに、見知らぬ曲がり角にたつと、問題のない安全な道がつまらないものに見えてしまうのであります。
曲がり角をまがってトントン拍子に進むこともありますが、それはごく稀でして、
「どーしてあの時…」
衝動に負けた自分を悔やんでしまうのがホトンドでございます。

けれど、曲がり角をまがって抜け出た道が、いつも見知っている道だというのに、夢から覚めたよーに、方向感覚を失い、奇妙なラビリンスに陥ることも多いのでございます。

運命の悪戯を曲がり角にかけて申しているのですが、モリオカに暮らしていた頃、日常的に歩いていた道をたどりました。

不思議なくらい変わっていないことに驚き、
「では、あの角を曲がれば…」
しかし、なだらかな丘陵のむこうは当時とおなじリンゴ畑。その奥にモリオカの市街が模型細工のよーに広がっているのでありました。
上空には東北でなければ出来ない雲が。
そっくりそのままなのでございます。

これもまた時のラビリンス。
まだ17歳ではないかと錯覚してしまうのでございます。

目をつむって歩いてみました。
「そろそろ、あの小屋のある地点だろう」
すると左手に栗の木があり、潰れかけた廃屋がまだ残っており、ちょうど、その廃屋を通り過ぎるところなのでした。

「いままでの歳月はなんだったのであろー」
反射的に浮かぶのは、お女性たちの顔、顔、顔。
なぜか顔の下の記憶は薄く、そのお顔も、思い出そうとすると泡のよーに消えかかるのでございます。
そして、ケタケタ笑う、笑い声だけが、虚ろな記憶から肉声として脳の奥に響くのでありました。

「きっと」
と思いましたです。
「死の直前は、コレと同じ現象があるのかもしれない。いや、そーあって欲しい」

まっすぐな道でも、曲がりが戸を曲がってしまったとしても、たどり着くところはソコなのでありましょう。

  1. 小野先生、思い出がある人は幸せな人でございますよ。

    ●十傳より→思い出しかないかもです。

  2. 日々の生活に疲れ果て、先生の書かれた文章を読んであまりの美しさに大泣きしてしまいました。
    毎日、更新を楽しみにしております。
    ありがとうございます。

    ●十傳より→ありゃりゃ、泣かせましたか…。

  3. 思い出だけしかないとのことですが、
    なんて贅沢で、素敵な人生を歩まれたことでしょう。
    まだまだ、沢山の思い出を作ってくださいませ。
    素敵な時間を積み重ねられる、
    小野先生のこれからのオフィシャルサイトを楽しみにしてますから。

    ●十傳より→過去だけは、恵まれた我儘な生き方をしてきましたです。いまもですけど。

  4.  小野十傳先生・人生の曲がり角は左右と曲がりくねる事が当たり前ですが、コレが無いと、味気ない人生ですよね!
    女性の顔と笑い声・ずいぶんとほん怖チックですね。

    ●十傳より→私メとしては愛おしいお女性ばかりですので…。

  5. 思い出、今は亡き友達の実家に大学生の時に数人で三重県の山奥に泊まりに行き、手土産を渡して全員整列して(体育会系ですから)「よろしくお願いいたします」と挨拶しました。その夜、七輪で焼肉をご馳走になるのですが、松阪牛ではなく、味噌ダレの鶏肉でした、それがメチャクチャ美味しいのです。地元では当たり前らしいです。その後は盆踊り。ウ~ン私も帰り道、号泣してしまいました。やれやれ!たまには泣くのもよろしいかと。

    ●十傳より→泣けるうちに泣いておかないと淋しくなりますです。