2011
04.26

実家の庭にさくカタクリのはなであります。
そろそろ、この花が終わりです。
ということは、やがて野花がつぎつぎに花をほころばせる頃も近いのでございます。

連日の被災地に疲れてきているのかもしれませんが、モリオカの春はいつもより遅いような気がいたしますです。

物置小屋を片づけながら、ときおり日だまりや、木陰に咲くいくつかの花たちを見やるのでありました。

なにごともなかったように春は巡っておるようで、それはそれで残酷なかんじがしないわけでもありません。

幼き頃のあれこれが頭のなかで繰り返しながら思い出されるのでありました。

ついさっきのことのようで、しかし取り返しのつかないくらいの歳月が経過しているのでした。
百年間も同じままでいることはできませんですよね。
平和を願っていても自然災害という猛威にさらされるわけでして、いやいや、あの人はどうしているかと考えて、ああ、もう三十年も前に死んでいたんだっけと、知っているはずのことをあらためて再確認したりするのであります。

このガキは私メであります。
お手伝いのオネエさんに鍋からなにかを与えられているのでありましょう。

まさか50数年後に易者に身を落としているとは誰もおもってもいなかったでありましょう。

こういうような思い出の品々が物置小屋のいろんなところから見つかるために、一日で片付くものも片付かないのであります。

人生とは思うようにいくことなど一つとしてないようでありますね。

  1. 十傳先生、そろそろ東京へ戻られるとか‥そのことメールで拝見いたしまして、すこしほっとしたような気にもなっておりますです。
    東京へは夜行バスとか?夜行バスも船や列車とはまたちがった雰囲気があるでしょうね。
    先生お気をつけてお疲れ様でございますです。

    ●十傳より→修学旅行みたいな感じなのでありましょうか。トイレ付バスときいて安心いたしております。