09.24
ひさしぶりの湘南海岸であります。
お彼岸で、街とか道路とかがなんとなく混雑していまして、そういう人混みを避けたい気分だったのです。
9月21日の台風直撃で、このように防砂塀がヤラれていたのであります。よってサイクリング道路には砂が厚く吹きだまり、自転車の車輪がとられて、おもうように進まないのでした。
湘南地方は、きゅうに気温が下がり、25度くらいでしょうか。胸元にあたった風が、おおきくシャツの背中をふくらませ、袖口から抜けていく心地よさは、たとえようもございませんです。
ちょっとした震災の爪痕のようだと言ったら、
「それくれで分がったふりしねんでけろや」
と叱られるかもしれませんが、そう感じるのでありますから、仕方ありません。
最近、釜石の従弟とは音信不通。
震災直後は、お嫁さんを亡くし、毎日のように連絡があったのに。
が、人間はそういうものでありましょう。
弱みを見せてしまった相手を敬遠したいものであります。
そしてやがては憎んだり恨んだりすることで、心の平均をとりたくなるのであります。
それでいいのであります。
カンタンに立ち直って欲しくはありませんし、立ち直るはずがありません。
そういう気持ちで湘南海岸を眺めると、なるほど被災地とは比べられない、かわいい被害なのでありました。
「いつか湘南を案内してね」
と言われながら、心の糸がほどけしまった、お女性さんのことをおもいだしたりするのでした。
すでに面影もボヤけてしまい定かではありません。
あいまいな返事をしたまま、もう秋なのであります。
どうしてこころよくOKしなかったのかと、いまの私メには理解できなくなっています。
そういえばHは死ぬほどよくても、それ以外は、話がどこまでも合わないお女性だったかな、と残酷なことをほじくり返したりするのであります。
もはや一生、会うことはないだろう、などと、そのお女性と、亡くなった従弟のお嫁さんを、一生会えないということについて、比べてしまうのであります。
「いっしょにしないでよ」
という声が聞こえそうであります。
比べてはいけないのであるようであります。
その声は、誰の声なのだろうかなどと江の島を眺めるのですが、いつまでたっても声はしないのであります。
人の幸せも不幸も、他人と比べるものではないのでありました。
潮騒がとおくでないているのでございます。
話は合うし楽しいんだけど、
Hがどーしてもどーーしても合わないって人もいました。
玉の輿!?って思ったけど、
そのモノがほんっとに細くて小さくて、入ってるかどうかさえ分からなくて、
微妙な空気を味わい、それ以降会わなかった人もいました。
その人の下の名前が思い出せない…。
男女の人間関係(あえて恋愛とは言いません)とは残酷ですね。
でも、仕方ないんです。
先生の言う、ココロよりカラダっていうのはよく分かります。
あたしなりに。
●十傳より→宗教(スピリッチャル含む)に傾倒している人は、相手よりも、その宗教を信じているために、心がかみ合わないようであります。カラダが合えば、心も合うのが普通だと私メは信じているのであります。そう、それが恋愛関係まで昇華しなくても。あとはジェラーシーは残りますが。
うーん・・。
カラダが死ぬほど馴染んできた頃には気持ちがお互いに離れていたり。
最初から体の相性が良くてもいつまでも心が通じ合ってなかったり。
などなど・・・・・・・・と・・・、
自分の場合は、色々なパターンがありました・・。
体が合うから心も話しも合う、
体が合わないから心も話しも合わない、と必ずしも比例はしませんでしたなぁ・・・・。
秋になるとなんだかシミジミモードになりますね。
●十傳より→心というのは難しいでありますね。気持ちが合った次の瞬間には離れてしまうこともよくあることでして。メールが普及してから、ますます混乱しているような気がいたしますです。
以前にも書いていたとおり私は占い師には向いていないようです。占いで「2011年に魂が変わる」というのを見ましたがここ最近オカルト・スピ系に熱中していたのが急に熱が冷めてしまいました。スピリチュアルは意外と危険度が高いのでこれ以上深入りしない方がいいようです。今の状況はお話できませんが、占いはたしなむ程度にしてお金儲けは現実的にこつこつかせいだ方が良いようです。
●十傳より→占いは、オカ&スピとは違いますれば、大丈夫であるとおもいますが…。スピの毒にはまると、職業的なことだけでなく、大切なことを失うことになるのであります。あれは新興宗教の一つと、私メは睨んでおりますです。