2014
10.04

今回の主たる目的だったのが、この音楽会でありました。

高校時代の担任の音楽会。
ひたかたならぬ恩人の一人でありますゆえ、毎年のように出席しているのでございます。

クルマを盗んでヤンキー娘と東京へ…というお話はもう何度もいたしましたけれど、この担任の尽力によって私メだけは事なきを得たという、やや卑怯者と言うか忸怩たる想い出の1ページを担ってくれたお方なのであります。

御年、85歳とか。

足を運ばれたお方たちも頭は亀頭の如し。あるいは火山灰の如しなのでございますです。

担任はむかしからお歌が好きでありまして、HRの時間にはいろんな歌を教えてもらったものであります。なんでも、のど自慢の東北大会に出たとか。
「ぼくは、ここぞというときツイてなくてね。前日に風邪をひしていまいまして」と全国大会までは進まれなかった自慢をしたものであります。

が、歌であり、なんであれ、適当にお上手というものは不幸の元かもしれませぬ。カラオケが上手いだけでミュージシャンを目指す人々のなんと多いことか。

私メが十傳スクールなどで「徹底」と「純粋」を叫ぶのは、このことなのでございますです。
人間性などどーでもイイから、特技を天才的にまで高めることこそ大事。
特技を天才的に高める過程において、人間性は歪められますが、それは仕方のないことでございます。
空知識のお方は「自己愛」などとひと言で締めくくりますですが、じつはそうではなく、自分を賭けることで特技は磨かれますです。
その差は他人とは、ほんの数歩。
しかし、その数歩のあゆみは、他人と同じことをしていては踏み出せないのであります。

音楽会は夕方に終わり、「ああ、今年も秋が来たのだな」とため息をつきつつ、でんでんむしというバスでモリオカ駅へと向かうのでございました。

  1. 高校時代の担任の先生の お人柄も良いのでしょうが
    何より小野先生の温かい心が伝わって来ます。
    恩を恩と感じない人が多い中、毎年 自分の歌う唄を聴きに来てくれる教え子がいる
    どんなにか嬉しい事でしょう。
    先生がおっしゃられるように私の住む町にも「ナマジ唄が上手い為に」歌手を目指し
    結局はモノにならなかったという人が何人かおります。
    仕事を持ちながら歌手活動という中途半端な事をしていたということもあったのかもしれませんが
    それより私の目から見ても唄が上手いというだけで、人を引き付ける魅力というものが
    まったく無い様に思えました。
    ただ 何ひとつ優れた所が無い私からすれば、唄が上手いという事だけでも羨ましく思えます。

    ●十傳より→その点、占いは競争率があまり高くないので効率的かも知れませんです。