2019
09.19
09.19
昼と夜の時間が等しくなる時が来ておりますです。
上空は西から東へと雲がうごいておりますです。
かなしみも喜びも、すべて去りゆくものと時の無常を天は告げておりますです。
たった今の出来事が、
「あれは一週間前だった」
「もう一カ月も過ぎたのか」
「5年前のことなのか」
思い出すたび、語るごとに現実は物語に脚色され、不確かな記憶として定着されるのでありましょーか。
恋愛も同様。
モラルを持ち出すのはせいぜい50代まで。
老いさらばえるとともに、死という時間が迫ることを思えば、人間が勝手に作り出したモラルなど上空を過ぎる雲のよーにちぎれ飛ぶのでございます。
そして、地には切ない営みが繰り広げられているのでございました。
秋の訪れに、死の予感が確実になった2匹の生き物は、まるで亡びにの神に懸命に訴えるかのよーに離れよーとはしないのでありました。
新しい命をはぐくむ行為になるなどとは思ってもおりますまい。
たえられない激しいさみしさが、お互いの肉体を溶け合わす行為へとはしらせるのでございましょー。
地の草むらには、そーいう生き物がかぎりなくつながっているのかもしれません。まだ相手を見つける事の出来ない生き物も大勢いるはずであります。
いま、いま、いま。
過去とか未来などという観念どころではなく、今、いま、いま。
滑稽さに真実があり、恥ずかしさに恋があるのであります。
冬の序曲はやっと始まりましたです。
先生、なんとも心に滲みる言葉の数々。
特に今日は私にとっては特別な一日、過ぎた過去を思わず懐かしんでしまいます。
今まさにこの時は一刻一刻と過去へ過ぎ去って行き二度と手元に取り戻すことは出来ません。
でも、先生の仰るように過去でもなく未来でもなく今現在の自分をしやわせにして行くことが一番大事なのだと思っています。
●十傳より→誰をイケニエにするかも大切でありますね。
生きることって難しいです。私メが目指す、庶民樣とは違う世界、学べば学ぶ程、喜びも苦しさも両方とも膨らんでいきます。一人で寂しくてたまらなくて、それが好きな自分がいます。そのことを病んでるんだよ…などとカウンセラーでもない輩が言ってくれます。私メからすれば、輩の方がオカシイと思いますけれど。
諸行無常ってことでしょうか?
●十傳より→カウンセラーなどの発言もすべてイイ加減であります。
確かにその時を逃すと取り返しがつかないことって多いですね。僕自身も、そうした刹那の大切さを何度も思い知りました。「刹那的だ」などというのはまやかしですね。
●十傳より→すべての、人の言葉や書籍を信じてはなりません。
第8ハウスの事象ですね。
●十傳より→違います。
クリムトの絵のように
愛や官能の足元には死の影が長く伸びているのでしょう
このイナゴたち、単に目の前にいたから結ばれただけなのか
それとも 「 この人ではない」 「 アナタでもない 」と数々の出会いを経て
やっと巡り合った オスとメスなのだろうか
虫達にも人間には分らないドラマがあるのかもしれませんね
●十傳より→虫にも運命があるのでありましょう。
なんなんでしょうかね。これもドラマ?? ろくでもなくしょーもない私は先生に見捨てられたおかげでなんとなく底の底から叩き上げられる機会があったような・・そして似た者同士が集まるのか、底から叩きあげられた人が自分に集まるような・・ああ、見捨てられてよかったのかなと思います。本当に有難うございました。たぶん、私のこと誰だかわかっている、または検討がそこそこついているとは思いますが、別に掲載したくなかったらしなくてもよいですし。明らかに・・先生の書いた本の振れ幅の大きさが今の自分を生んだと思っています。大きすぎて認めたくなかったけれど、そのおかげで振れ幅の大きい魅力的な人たちが自分の周囲に集まりました。
●十傳より→さーて、どなたなのかとんと…。
えーっと、うーんと
あの人に、この人に、誰にしとくかな?
●十傳より→とりあえずを決めても良いかもです。