2014
09.30

いろいろな死に方がございますですが、こたびの御嶽山噴火による死に方は珍しいものでありますです。

墓石ほどの岩の塊が降って来て、それに当たって死ぬということは、もう運としか言えないのであります。
当たらずに下山したお方も大勢いる中で、「なぜ、あの人だけが」と思うはずでございます。

前日に登ったお方もいるだろうし、八合目あたりで噴火が発生し、あわてて下りたお方もおいででしょう。
頂上に達し、ふぅーっと、ひといきつき昼ご飯を開いたとたんに、トドーンと噴火が始まったことは、もしも命に別状がなければ、ラッキーな瞬間に立ち会ったと喜んだはずであります。

同じ当たるにしても、ロト7などを当てる場合もございます。
「買わなければ当たらないよ」
とはロトだけでなく宝くじの挑戦者のお言葉。

「宝くじなどは当たらない方が良い」
とは宝くじ当選によって、人生が狂うと怖れているお方。

狂ってもイイから当たりたいと、多くの方々は「購入」という行動を取るのであります。
前向きに行動しなくちゃね!
と御嶽組も意気揚々と山頂を目指したのでありましょうか。

前もって噴火の予期はできなかったのかと、またしても責任を押しつけようという風潮が高まりつつありますですが、これは運でありますです。

その運のメカニズムを解明するという、社会的にはアホらしいことを目標においている私メには、じつに興味深い噴火でございましたです。
「ご遺族の心情を…!」
というお声もございましょうね。そういうお声に飽き飽きしてはおりますが。

行動せぬという選択も、正しくなくはないという一例かもしれませぬ。
消極的だからダメとは決めつけられぬのでありますから、「もっと積極的になりなさい」と押しつけられているお方も、運はそういうことではないと自信を持ってもイイかもなのであります。

2014
09.28

南部せんべいが送られてきまして、その包装紙に、青森県の三戸の新郷村(旧戸来)にキリストの墓があるというイラストが描かれており、つい微笑ましくなるのでありました。

戸来はヘライと読んで、ヘブライということでございます。

そんなことはどーでもイイのでして、忘れないうちにと、10月のパワボならびに開運植物の方位をお知らせいたしますです。

10月は東の方位しかありませぬゆえ、先月のまま移動しない方が賢明でございます。東だとて、甲×甲だけで天冲星や傷門がありますゆえ、強くお薦めするほどのこともないのでございます。

また南東は戦格であることを付記しておきますです。

下手に動かしては凶を呼ぶだけかもしれませぬ。
どーしても凶が欲しいというお方は、10月8日に移動すればイイのであります。

 

2014
09.27

「愛おしい」と「厭わしい」は、ただ「お」が「わ」に変わっただけでありますが、この変化の間に濁情の本質があるのかもしれませぬ。

季節は天秤座。
「愛おしい」のか「厭わしい」のかを天秤で計ってみるのも趣がございますです。

愛おしいと信じていただけで、実際は厭わしいだけだったり、厭わしいと否定的に接していたところ、あるキッカケで愛おしいと心の奥で感じているという場合もございますです。

たいていは天秤で計るまでもなく、判断を下してしまうものかもしれませぬ。目の前にある濁情ならばなおさらでございましょう。

濁情の本質を言葉遊びにする場合もございます。
が、言葉はあくまでも伝達という道具だと考えた方がよいケースもございます。
とくに、濁情の気持ちを言葉にすると、相手にはただ小うるさく受け止められますです。

終わってしまった濁情をしみじみと思い出す時にだけ言葉はその力を発揮するのではあるまいかなどと思うのですが、それもハッキリとはいたしませぬ。

濁情を楽しい無駄な時間と感じられるまでは「愛おしい」と思えるようであり、濁情の無駄を損害だと受け止めるお方に対して「厭わしい」と感じてしまうのかもしれませぬ。