12.31
(仮稼働中)
べつに用事があるわけでもないのです。
鳥から見たらバカげてみえるでしょう。犬からみたって無駄な行動にしかみえないでしょう。
でも年末の町を眺めたくなったのであります。
腰越の狭い道幅を江ノ電が我が物顔に走るので、車は軒先スレスレのところで待機することになります。
運転者は機嫌が悪い日には警笛を連発させてクルマを追い出すのですが、地元の人は慣れっこになっていても、そうでない人は、これは焦りますでしょう。
腰越の道は小動で海にでます。
一望の湘南の海というわけであります。
少年とカアちゃんは何処までサイクリングをするのでありのしょうか。
少年はやがて心の醜い大人になり、カアちゃんはお婆ちゃんになっていくのであります。
今日という日を記憶するのでしょうか。
「R134を自転車で走ったよね」と糸口をみつけても、「おらぁ、なんにも忘れてしまったじゃぁ…」と記憶を共有することができず、元少年も「あれは別の人と走ったのかも」と記憶に自信を失うかもしれませぬ。
ともあれ日頃、この地帯の渋滞をこしらえるケダモノ達は郷里に帰ったらしく、とてもクリーンな環境の中を、本日の無駄なドライブを終えるのでございました。
2015年がはじまる二日前のことでありました。
ギャンブル誌のお方と、昔の話をいたしました。
「オノさんが監修を始めた年齢を五歳も上回りましたよ」
と語られ、
ああ、あれは1995年頃のことであったなぁ、と懐かしくなったのでありました。
太田出版からの雑誌だったのが、編集部一同が独立し、小さいながらも出版社を結成したのでありました。
「オノさんはどっちにつく? 会社か我々か」
と詰め寄られたのが昨日のことのようであります。
「親しい方につくよ」
と答え、あわてて東北沢のワンルームマンションの事務所を閉鎖したのでありました。だって月々の監修料がしばらくは途絶えるからであります。
まだピッチもほとんど普及していなかった時代でありました。
その後、いろいろな雑誌からの依頼が増え、携帯のサイトの占いもあり、なんとか食いつないでこれたのでありました。
自慢できることはただ一つであります。
占いのヒラメキがスパークすること、コレなのであります。
時が過ぎ、忘れっぽくなり、老眼鏡のお世話になっている昨今、もはや引退の時期も数えはじめていたのでありますが、突如のように、断易の「納甲表いらず」の方法がヒラめいたのであります。
まだ、すこしは大丈夫かもしれぬ…と、ちと自信が付き申した。
1月3日の「断易秋組」では、この方法をご伝授いたす所存。
断易での最初の壁は、卦に12支と6親をふる作業なのであります。
これさえスムーズにいけば、しめたもの。
さあさあ、正月早々、開眼が待っていますぞ!