2021
02.28

断易は、八面体の象牙のサイコロ六個を、それぞれ神蓍と呼ばれる箱に入れ、それを振って占うものだと観念化されているフシがございますが、それはまったくの誤解であります。

陰陽が出て、その陰陽の六つの配合によって64卦が出ればイイのでございます。

私メは初期のころは、六角の鉛筆を転がして陰陽を出しており、けっこう当たっておりました。

モリオカの新しい納屋には、四代前の柳ごおりが縄で亀甲結びされて保存されております。
ほどいてみますと、画像のような筮竹と算木が収められておりました。
四代前は僧侶でしたから、本来は、仏教と占いとは近いようで無縁でございます。
占いは神様不要の技術だからです。
が、なにしろ山寺の坊主でしたから、村人からいろいろと相談を受け、筮竹で占ったりしていたのでありましょう。古新聞にくるまれて虫食いの易の本もございました。

神田神保町の出版と奥付けされている和綴じ本ですが、

「これで、よくぞ占っていたものだ」
内容は幼稚でございます。
面白いのは「未収金」という帳面が残っておりまして、占いのお代を払っていただいていない方々のお名前が記されていたことであります。名前が縦線で消されているのは回収済みということでしょーか。

いえいえ、お話がそれましたですね。
言いたいことは、筮竹によって64卦を出しても、また算木をぶん投げて、その陰陽で卦を出しても問題はございません、なのであります。
易聖と称される高島嘉右衛門は小伝馬町の牢内で、筵のワラを60本引き抜き、それを筮竹として易の勉強をしたとかの逸話もございます。

私メなどは、出先では、48だったかのマス目をプリントしたものに数字を記入してもらい、卦を出しますです。
ありゃ、いまの初等科で講義したかな?

象牙のサイコロが、ブランド下着だとすれば、マス目の数字や鉛筆は、使い捨ての下着でしょうか。どちらでも剥ぎとってしまえば、麗しい女体に何ら違いはないのであります。大事なのは、下着ではなく、官能のツボを察する老練なのであります。

つまり勉強が大事であると同時に経験も大事。
初等科を学んだなら、ぜひ他人を占ってもらいたいのであります。
「自信がないから」とか「責任をもって占いたいとか」
のお気持ちは分かりますが、実占をしながら、お勉強するのがイチバン身につくのであります。

お道具はどーでもイイのだと申しながら、鷲尾先生の教室に通っていらっしゃった実占家のオバちゃんたちに、
象牙のサイコロと神蓍の購入を勧められたものでした。当時でも合計九万円。痛い出費でございます。
「覚悟がつくから」
と。
そして、「すぐに元が取れるから大丈夫よ」。

元は取れましたが、易で生活できるよーになるのは、それから七年の時間が必要でございました。

2021
02.27

蜂の巣除去業者のお兄さんに聞いたことがございます。
「心配事があると蜂に刺されるんですよ」

そーいえば、小説でも読んだことがありました。
養蜂を営むセラピストの話であります。
悲しいことを考えると防護服に蜂が集まり、楽しいことを考えると蜂は寄り付かないのいうエピソードでした。
しかし、クライアントは楽しいことを思い描いても、蜂が密集してしまうのです。
「それは、本当に楽しいことではないからよ」
セラピストは言うのでした。

蜂に限らず、動物は、相手が弱みを見せると攻撃を仕掛けることは見聞きしていると思います。死にそうな人の家をカラスが旋回するとか。
愛犬のロメオも、死ぬ三か月前の老犬のセラーを押し倒したりしておりました。

人間だって同様であります。
弱体化した隣国を攻撃し領土を奪うことは、太平洋戦争終結後に、ロシアが襲ってきて色丹島などを占領された歴史で実証されております。

では、運はどーか。
幸運な人はどこまでも上手くいき、不運に泥むとたちまち数々の悲惨に追い込まれることは、30年ほどの実占から、身に染みるほど実感していることでございます。
四柱推命で測れば、誰にでも不運の時期は来るものでございます。
問題なのは、不運の時期の過ごし方。

自棄になって大酒を飲んだり、濁情に身を投じてしまうと、幸運の時期が到来しても、対処することができません。

小説の中でセラピストは語ります。
「悲しいことはすぐに浮かぶのに、楽しいことを考えるのは負担なのよ」
楽しいと思ったことは、じつは楽しいことではなくて、その場限りの心のメッキ。

コメディアンのお戯けに腹を抱えて笑ったあとの、虚しさ、怒り。

楽しい事とはいったい何でありましょーか。
悲しい事や不幸から逃れるための一時しのぎとしてしまうから、蜂という不幸に襲われるのでございましょう。その恋は逃避としての恋ではないのか。その趣味は本業で評価されなかったための慰めではないのか。スポーツ観戦。映画、演劇鑑賞。歌。そこに本当の喜びはたぶんございませんでしょう。元気をもらったなどは錯覚。

やはり、
「健康」「お金」「自由」の三要素のバランスかもしれませんです。

どーすればイイのだ。
答えは見つかりません。いや、見つかっております、私メなりに。
現在、流行りつつある「みんなが喜ぶことをすることが幸せなのだ」の美辞は違います。それは成功者が公の言葉として語ること。

ただ一つ、蜂や蚊に刺されず、犬に吠えられず、カラスやクマに襲われず、喧嘩を吹っ掛けられず、イジメられず…が、ひとつの指標なのであります。

2021
02.26

老母に、
「ソフトクリーム喰いてぇ」
と頼まれましたので、小岩井牧場の奥にある、その場所までクルマを走らせたのであります。
老母は大のソフトクリーム好きでありまして、数年前、団体旅行で高速のパーキングで買い求めたソフトを、敷石にけつまずき左手首と右足を骨折しながらも、ソフトを手放さなかったほどでございます。

「五輪やるところだべか」
私メが手渡したソフトが聖火に似ているというのでした。

それから、
「コロナのワクチン接種したぐねな」
老母の説によると、ワクチン接種すれば、国民全員が陽性になるから、その時点で毎日の感染者数は発表しなくなるだろう。とすれば五輪の開催は容易になるだろう。平成天皇を早々に隠居させたのも、急死されたら五輪がオジャンになるから。東日本大震災の復興が遅れているのも、
「んだって、復興させてしまったら、東北人の安い人件費で競技場を建設できねべや」

それから、ソフトをひとなめしてから、
「何かあるべな」
そったにしてまで五輪を開催しなければならないってのは。政治家が国民を守るはずねのは常識だえん。
目玉が灰色に染まりだすのでありました。
「あんたも(私メの事)歴史を勉強したんだば、それくれ分からねば」
ははぁ~。なのであります。

むかしから恐ろしいお方でありました。
いまの私メは師匠もすべてこの世を去っておりますから、まずは恐れる存在はおりません。
好き勝手放題を言っても、たしなめる存在はおりませんです。

たった一人、この老婆が恐ろしいのであります。神楽坂の事務所の仕事場に、老母の若かりし頃の一枚を、遺影として飾っておりますのも、どこかしら畏怖の念があるのかもしれませぬ。
「はやく死んでくれればスッキリするのに」
いつかその日を迎えるでしょーが、なかなかしぶといのであります。

92歳なのですが、耳が良く、記憶もシッカリしているのであります。
若いころに問題を起こした女子生徒の名前をまだ憶えています。
また、友達のいない私メを心配していたので、佐藤君という架空の友達をでっちあげ、安心させたのでありましたが、そんなことなどとっくに忘れていてましたのに、突如として、
「佐藤君は元気だえんか」
「佐藤くん? 誰それ」
「いっつも話してけでらえんちぇ。冷てんでねの、友達を忘れるとは。女の子の尻ばかり追いかけてるからそーなるんのさ」
思い出すのに苦労いたしました。

亡父と夫婦喧嘩をしていたときも、
「そんだば結婚する時と約束違う。そういうつもりで嫁いだんでないよ」
口論の内容はともかく、
オノ家はすでに女性蔑視は許されていないのでありました。

弟と東京に来たことがあり、都会に委縮して下ばかり見ていた弟に、
「あんや同じ人間でねのか。なさけね人だごと。背中を伸ばし、まっすぐ前を見なさい」
渋谷の繁華街で目を灰色にして叱るのでありました。

同じ人間かぁ…。

妹などは「鬼!」と呼んでは、「ホントの鬼がどったなものか教えてやるべか」と逆襲されておりましたです。

私メが遅寝早起きなのも、
「あんや、時間もってねぐね。寝るのは死ぬ時でいんでねのっか」
こういわれ続けたからに相違ございません。

おそるべし老母でございます。