2022
10.31
地下鉄の最終車両から過ぎ去る駅のホームを見送るのが好きでございます。
ロシアとか北朝鮮、中国に核ミサイルを投下されたら、東京は、この地下鉄の通路が活躍するのでありましょう。
ゴチャと群衆が避難して、騒然となるのは想像に難しくございません。
「彼女は大丈夫だろうか」
「あの人は」
「家族は」
おそらくスマホは使えないでしょう。
2011年の東日本大震災直後の釜石周辺を思い出しました。
被災地の釜石にクルマで向かった話題は何度かUPいたしましたです。
道路は寸断され、そこを手探りするよーにのろのろと進んだのです。
その道路の向こうに、モーテル「太陽」だったかの看板が壊れて転がっておりました。
お楽しみの最中に津波に襲われた方々もいるのだと、ニヤリといたしました。
核ミサイルが投下されたとき、ラブホで被爆する人たちもたくさんおられるでありましょう。
愛する相手とだったなら仕方ないと諦められますが、たんなる遊び相手だったとでしたら、それは複雑なことになるのでありましょう。
核ミサイルから話を変えれば、人と人の出会いだの関係は、すべて運でしかないのであります。
求めても結ばれず、求めない相手としか結ばれない運命のほうが多いかもしれません。
過ぎ去るホームを眺めておりますと、もしかすると、あの駅のホームで運命の出会いがあったのかもしれないと、ちょっとそんなことを考えてしまうのであります。
晩秋の証拠でございましょう。
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独断的恋愛論 /
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2022
10.30
お寺の小冊子に乗っていたワンカットであります。
孫がゲームしているのを見守りながら、縁側の陽だまりで新聞を眺めている。
孫の母親は、買い物でしょーか。
浮気でしょーか。
それともパートで働いているのでしょーか。
そんなことは「どーでもいい」世俗を超越し背を丸めて老眼鏡をかけた老人。
このよーな老後は、私メは無理でありますです。
というか不可能でございましょー。
書斎で占いをまとめているか、老いてもお女性と戯れてしまうことになるのでございます。
しやわせという価値判断を、占いでは、
「地位か」
「経済面か」
でしか図ることはできません。
貧しくても心が豊かだ、という場合は、占いではそれを不幸と断ずるしかできないのであります。
つまり、精神的なしやわせを図るメモリを占いは搭載していないのでございます。
けれど、数理術を用いれば、たとえば、自分の努力と、持って生まれた社会的評価の差異によって、その精神的ななかに分け入ることも不可能ではございません。
そして、これに家庭内の模様を加えることも数理術では可能であります。
頑張っても、なかなか社会的に認められない男が、家庭内では暴君となるのか、それとも妻からも軽んじられるのか…とか。
いくつかのパータンがありまして、
「なるほどなぁ」
と合点が行くのであります。
私メの場合は、晩年は、孤独。
自分では孤独だと思わぬだけ救いがありますが、孤独には違いないと出ますです。
調候用神法を用いても「孤独」の二文字から脱することはできません。
「いまのままで良いのだ」
居直ることにいたしましたです。
2022
10.29
今日はライスカレーの解禁日。
ということで、私メも欧風カレーを食しましたです。
長いこと鑑定をしていまして、凶現象に見舞われているお方に限って、なぜか好物は「カレーです」というお答えをいただきまして、
「カレー断ちに」
を推奨しているのでありました。
本場のインドカレーは例外であります。
日本独特の♫リンゴとハチミツ♫の欧風カレーが大凶なのであります。
しかし、本日はカレーの解禁日。欧風カレーもOK。
むしろ開運につながるのであります。
私メも、カツカレーにいたしました。
ご飯の上にある犬のゲロみたいなものは、ひきわり納豆であります。
じつに良く合うのであります。
女優の黒木華が、お手伝いのネヤさん役をすると、この魅力がいっそう輝くよーに、カレーとひきわり納豆はブレンドすることで絶妙になるのでございます。
…しかし、慣れないものを口にしたせいか、さきほどから腹の具合がいささか。
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開運料理 /
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