2021
04.24
04.24
の、よーに本日の断易初等科の初日の講義は、全体力を使い切ったのでございます。
モリオカの実家の自室からの発信でありました。
これまでの反省点をクリアしたのではないかと思いますです。
卦の変爻の12支と六親の振り方。
最初の断易の絶壁は、これに尽きるのでございます。
この点が理解できないと、原理原則を講義しても、前進できません。
あとは受講者の皆様が、頭で理解したところを忘れないうちに、体得してもらわねばならないのであります。
愛のあと、手をほどき、黙っているふたり。
みたいなものでしょーか。
講義が終了したら、全身が脂ぎった汗でまみれているのでありました。
いつになく長風呂。
「倒れでるんでねベガと心配したぁ」
と老母。
それでも録画を見直しましたら、
「そわそわしているなぁ」
前の録画では不動だったのでアクションを取り入れよーと意識しましたが、体の軸が左右に揺れているところが目につきましたです。
「イイ椅子が必要かも」
でも、気にしていた残響は、高価な敷物でクリアしたよーな感じでございます。
しかし、まだ変爻の振り方を理解していないお方もいるかもしれませんが、気持ちを弛めてはいけません。
遠く東京では、緊急事態宣言とか。禁酒法だとか、夜は照明を消すとか。
もう、どーぞ、どーぞという感じでございます。
こんなにも無能な政治家に頼っていたのかと、むしろ開放感が強いのであります。
いまのうちに、占いという特殊な技術をマスターしておくことが、ほんとうはとても大事なのだと実感しているのでありました。
愛のあと、鎧戸をあけて、波の響きに漂うだけであります。
先生が講義で断易UFOを写し忘れ、訳がわからなくなってしまいました。
テキスト読んでも分からないしどうしよう。ついていけないかもです。
●十傳より→では、風雷益の上爻変を出してみてくださいまし。次回、答え合わせをいたします。
初回の講義、ありがとうございました。
やはり、市販本を読んで理解を深めるより、お話を聞いて本を読んで理解を深めることが、私にはっているような気がします。
内容も充実したものでした。
いろいろと知るうちに疑問点も出て来ました。
例えば、今の時点では、断易と周易の違いや精度、占う年や時間帯は考慮しなくても良いのか、などです。
次回以降の講義などで少しお話しいただければ、たいへんありがたいです。
また、復習もいたします。
次回もよろしくお願いいたします。
●十傳より→だんだんと明らかになっていくことでありましょう。まずは卦を正しく出すことに専念してくださいまし。
断易に使う6部屋の箱やサイコロトレーを入手したいですね。
あとに戻れない、戻らないことの決意で1箱、持ち運びようにも1箱を買おうかな。
手に入らないのであれば、手作りも良いかもしれません。
実際、手作りされている方もいるそうなので。
●十傳より→サイコロの他、19個の円蓍を使ったりする方法もございます。が、戻らない決意は、象牙のサイコロと神蓍でありましょう。
禁酒法に灯火管制、少し前には金属類回収令や学徒動員などがありましたね。
マスコミは恐怖を煽動してますし。
まるで先の大戦時に似ている気がします。
●十傳より→机の上での優等生が、吹雪の山ではまったく役に立たない、足手まといの木偶のボーでありますね。そして、それでイイのかも。我々がしっかりしていればイイのでありますから。
神蓍と象牙のサイコロ、いいですねぇ。
まずは、基本に忠実に初等科の内容を復習し、自身のなかで固めなければ。
ところで、先生の神蓍に太極として赤い石(先生の誕生石?)をつけておられますが、個人が新しく持つ予定の神蓍にも付けたほうが良いでしょうか?
お教えください。
●十傳より→私メの神蓍に太極として付けているのはピアスであります。
ルビーのピアスを打ち込んで太極としているのですね。
私も先生を真似て天然石を神蓍にくっ付けて太極とすることにします。
どの石が良いのか迷いますね。
●十傳より→石との出会いもありますですからね。
もしかすると、現代日本は死を遠ざけ、あるいは隠し、世の中に変化を求めず、今の平穏無事が続くと、そのような夢物語のような考えの泥沼に嵌まっていたのではないでしょうか。
それが崩れて、右往左往して、余裕を失ったのではないかと。
そう考えてしまいます。
●十傳より→神風か吹くと、マジで信じているところもございますですね。
ひとつご質問させていただきます。
前から気になっていることがあります。
易の卦を出す際、易者本人が卦を出す方法の他に、依頼者本人に道具を渡して卦を出す方法があると思います。
街の易者は易者本人が卦を出していることが圧倒的多数ですが、ふと、依頼者本人に卦を出してもらったほうが、思いがより入ると思いました。
やはり、商売道具を渡すのはご法度なのでしょうか。
それとも、依頼者本人に卦を出してもらうと、邪念が入ってしまうとか、他の理由があるのでしょうか。
●十傳より→どちらでもイイのだと思いますです。ただ、易者本人が出した卦の方が読みやすいのであります。
ご回答ありがとうございました。
依頼者参加形にするのも、易者独擅場形にするのも自由なのですね。
後は、易者本人のスタンス次第なのでしょう。
依頼者参加形だと、気に入らない卦が出ても「四の五の言うな。お主が出した卦であろう」と言う場面が出てきそうな気がします。
それはそれで面白く、また、面倒臭いですね。
まあ、ほとんどの依頼者は易者を頼って「先生、なにとぞお願いします」で来ているので、「私にお任せあれ。悪い卦が出てもサポートしてしんぜよう」となるのでしょうが。
そうなるには修行あるのみですね。
●十傳より→それほど上から目線にはなりませんけれど。
申し訳ございません。
先生が常日頃、相談者に寄り添って鑑定していることは存じております。
世の易者さんたちを見ると上記の様な方もいるんだろうなと思った次第です。無論、そうでない方もいらっしゃるので。
言い訳がましくなってしまい、失礼いたしました。
●十傳より→しかし私メを振り返りますと、相談者に寄り添うよりも、命式や卦の中身に没頭し、自分で納得するまで解釈する方にウェイトを置いている気がしてなりませぬ。
以前、鑑定していただいた時に、納得した解釈でないとダメということをお聞きしたことがあります。
私は、先生のその判断や考えは間違っていないと思います。
やはり、占う方が納得した解釈や結果でないと、依頼する方も不安になるかと。
やはり、依頼した方に寄り添っていると思います。
あの時間は、優しさのある良い時間でした。
●十傳より→鑑定スタイルは、各人それぞれでありましょーが。