2014
02.28
02.28
まだ日があると油断していたら今日は2月28日。いろいろな支払いのために銀行に赴いたのであります。
そして食堂を通りかかった時、このようなスイーツを目撃したのでありました。
「焼き林檎」でございます。
ああ、このお女性とヤッとしまうだろうという初対面の際に感じる確信のような引力に負け、
「まだ焼き林檎ある?」
とドアをあけるなり店の子に尋ねたのであります。
郷里のリンゴ畑を思い出すのであります。幼き頃、スキーをしに裏山の林檎畑に遊んだものです。
林檎の枝は収穫のために低く育てられており、スキー上達を会得する、重心の低い姿勢を覚えるには理想的な斜面なのであります。
その雪の斜面に、しなびた林檎がいくつも落ちていたものであります。
粉雪を思わせる砂糖を散らせたお皿に、血のような林檎。
理由もなく、罪深い自分を感じてしまうのでありました。
手づかみで頬ばり、甘く濡れた指をしゃぶりながら食うのが本来の姿であるからでございましょうか。
金属のフォークをいれるところに罪悪を覚えるのかもしれませぬ。
真昼の不道徳。
この林檎は私メにこんな放埓な姿態を無防備にさらけだしてイイものでありましょうか。
そして、私メは林檎の誘惑に、どうして耐える必要がありましょうか。
人生は短い、大いに楽しみましょうという意味の歌詞のシャンソンが、高く低く体の奥に響いているのでありました。
やだ!
エロっちぃー。
●十傳より→ただの、お●んこなのに。●には「り」が入るのは当然でありますです。
もー!
ビックリした!
てか、まんまと引っかかった(笑)
●十傳より→二段構えの罠でありましたから。
それでは、お言葉に甘えて本日も。
色鮮やかな焼きリンゴの甘酸っぱい香りがこちらまで届いてきそうです。
私は子供の頃から、リンゴなどの果物は丸かじり するのが好きでした。
その日もリンゴを食べようと ズボンの太モモのあたりで良く磨き
艶やかに光輝いたところで さあ食べようとした時、なんと間が悪い
中学生の兄(先生と同年代) が学校から帰ってきました。
その頃 兄はリンゴを手で半分に割るのがマイブ-ムだったようで
私の持っているリンゴを見つけると
「どれ、半分に割ってやるから かっしょん 」
と頼んでもいないのに私からリンゴを取り上げました。
そして両手でリンゴを掴み「フッ」と力を入れ半分に割れたと同時に「ブィッ」とオナラをしたのです。
それを目撃した私は、赤いリンゴが一瞬にして黄色くなったような気がして愕然とし
「○○ちゃんのバガぁ もういらない」と大泣きをしました。
あれから数十年経った今も赤いリンゴ、特に紅玉を見ると その事を想い出します。
●十傳より→林檎の割れる音と、リンゴの枝の折れる音が、ほとんど同じなのが不思議であります。