2017
01.13

辻堂の住宅地の奥に、不思議な一画がございます。
松林にかこまれた丘陵。
そこに壊れかけた鳥居が残っております。

明治に薩長の政策の一つ、廃仏毀釈によって無残な姿にさせられた神社なのであります。
不思議なのは、毀釈は、釈迦の教えを否定するわけでありますから、お寺が被害を受けてしかるべきなのに、神社がこうなってしまうとは、面白い現象であります。

お女性に優しくしたら、かえって迷惑がられて嫌われたというようなことに似ているといえば言えますでしょうか。

が、私メには関係のないこと。
でも、興味深いのであります。
毀すなら、徹底して名残もなくすればイイのに、残っているということは、それなりの理由がございましょう。

思わず、柏手を10回ほど打ち鳴らしたのであります。

そのあと、近くの焼肉屋で、ひとり焼肉を。

右下にあるのはテキストの初爻であります。
私メは、何かを読みながらご飯を食べる習癖がございます。

お行儀が悪いかもしれませんが、落ち着くのであります。

犬猫などケダモノは餌を出されると、そればかりにガッツいて食いますが、私メは違うのであります…と弁解しておきましょう。
尻取りしながらのおスケベも、また文明かもしれませぬ。

それは、そうとして、先ほどの神社に白い丸いモノがいくつか供えられていました。
タマゴかと思いました。お餅かもとも。
いえいえ、違います。
ゴルフボールでありました。わけが分かりませぬ。

  1. 複数で焼肉に行くと、ちょっとでも多く食べようとする人だな、配分に気を使い過ぎて遠慮する人だな、何も考えてない人だな。と自分は神経質で色々な事が気になってしまう人なので、一人、本と焼肉で過ごせる先生のスタイルに憧れます。が、神経質なので周囲の目線も気になるという矛盾をかかえております(^^;

    ●十傳より→私メも、自分では救いようのない神経質だと思っているのでありますが。

  2. よく 「一人焼肉」できる ? なんてテレビなどで言っているのを聞きますね
    ただ食事をするだけなのに、何故イヤがるのでしょう
    私の生まれ故郷にも昔大きなお寺があったそうです
    火事で焼失してしまい、その時に何人ものお坊さんが亡くなったとの事
    そのお寺の名残として立派な 仁王像と薬師堂が残されています
    子供の頃は この薬師堂の敷地内で毎日のように遊んでいました
    夏休みには ここで一晩だけ 「オバケ大会」を10人ほどの子供たちだけで行い
    「脅される側」より 暗闇の中で待機している「脅す側」の方が相当怖い オバケ大会です
    私が小学6年の小学生最後の夏休みのオバケ大会のことです
    「もうこれが最後で、夜ここに来ることはないんだな」
    なんて 少し寂しさを感じながら参加しました
    オバケ大会も終わり、薬師堂の前でワイワイとお喋りしていると
    私はある異変に気づきました
    幾つも建っている お坊さんの墓石の一つが、月が出ているとはいえ暗闇の中
    半紙を貼ったように 真っ白に浮き出て見えるのです
    大会を始める前は普通の墓石だったので、子供たち全員で大騒ぎになり
    「月の光のせいではないか」などと見る場所を変えたり触ったり
    他の墓石には異常は見られず、その一墓だけが真っ白のままなのです
    その夏も終わり、私は中学生となり子供会からは抜け
    中学2年生の時に この土地を去りました
    今にして想えば、あの墓石の下で眠る お坊さんが、私に「別れ」を言ってくれたのだと
    思います

    ●十傳より→そーなんでょうね。

  3. 僕は桜より梅の花が好きなんですが、もしや「梅=埋め」で一生なにをやってもだめとか?

      ●十傳より→いやいや「生」の意味は生きてまして、「生め」でありましょう。

  4. ひとりご飯の友は、やはり本ですよね!今はアガサ・クリスティのミス・マープルを道連れに…おやつを食べる時には怒られないのに、食事時は怒られますゆえ、本当にひとりだけの楽しみでございます。

      ●十傳より→ツアー旅行のパンフなども良き友であります。