2011
06.25
06.25
一昨日からモリオカに戻っているのであります。
老母が眼底出血いたしまして、その手術がきのう。
迎えに行ったら、血の気のひいた老母が眼帯をかけて病院の外で待っていたのでありました。
「明日の朝さ」
と母。「吉野家っていうところで朝の定食たべねっか?」
どうやら老人会などで吉野家の朝定食の話題があったらしく、それではどういうところなのかと、いたく興味をひかれたもようなのでした。
そこで、今朝、病院に届ける途中、国道沿いの吉野家にたちより、ごらんの定食をそれぞれ食ったというわけであります。
老母、五十代の息子が向かい合って定食をたべている姿は、どのようなものか想像するのも恥ずかしいのでありますが、こういう体験もなかなかのものなのであります。
会話は、「安寿と厨子王」でありました。
その物語の最後。国主となった厨子王が、とある寂しい漁村をとおりかかると、むしろにすわって刈り取った稲をついばみにくる雀をはらっている盲目の老婆をみとめるのであります。それが何十年もむかしに生き別れになったままの母でありました。見る影もなくやせ衰え白髪になっためくらの母は歌っているのであります。「厨子王こいしやほうやれほう、安寿こいしやほうやれほう」と。そこにいるのは大きな雀かと、老婆は竹ではらいながら、歌うのでありました。竹は厨子王のすねにあたります。そのうちに気配で、だまって立っているおとこに、もしやと老婆は察します。「厨子王…」、「母じゃ!」とふたりはひしとだきあうのでありました。
吉野家の朝定をつつきつつ、物語をなつかしむ、眼帯をした老母と五十男のそばには、一定の距離をまもるように客も従業員も近寄らないのでありました。
葛藤のあった(ある)母を慈しむことのできる先生はやさしいですね。
おもはず兄が言ったことを思い出しました。
生前は母に対して罵詈雑言だった兄でしたが、母が亡くなってから
「おまえがお母さんのことをどう思おうが、お母さんは弥勒菩薩のような人だったと今になって思うよ」と。
母が嫌い、だけれどもそれ以上にそれ以上に母が大、大、大好きで、マザコンを声高に主張してゆずらない兄です。兄のお嫁さんも「○○さんほんとにマザコンなんですよー」とニコニコしながら言っています。母が喜ぶと思って相撲の升席をプレゼントしたりしていた兄。ほんとはもっと一杯一杯母に喜んでもらいたかったと思います。イカンセン、60代で早々にこの世を去ってしまったので、その願いは叶いません。
先生、どうか兄の分までよろしくお願いいたしますです。
●十傳より→私メのマザコンぶりもイタ公なみらしいので日本人から見れば異様かもしれませんです。が、いつ母に死なれても後悔はしないでありましょう。
明日の朝まで長いボイドタイムが続きますですね。
吉野家の朝食はまだ食べたことがありませんので今度私も頂いてみたいです。
最近はホテルに泊まると朝食付きではないと落ち着きませんね。
目の手術はお顔以外はいたって健康ですから食欲は変わらないんですよね。
私はすい臓の「膵炎」気味なので、お酒とコーヒーと揚げ物が厳禁になりました。
一病息災ですね。
「安寿と厨子王」ですが現実には子供が父親を知らないバージョンが多いですよね。
●十傳より→すい蔵は胃袋の裏側にあって脊髄にはさまれておりますです。背骨が痛まなければまずは大丈夫であります。あとは体質。すい蔵はデリケートでして、これがすい臓にイイという食べ物はなく、みなすい臓に悪い食べ物だけなのであります。とてもわがままな臓器でありますね。
病気は本人さんの性格を表しているようですね。
今までも焼き餃子やお好み焼きもダイレクトに背中が痛くなっていましたね。
たくさんお酒を飲んでも平気な十傳さんが羨ましいです。
フライ系のない和食や二千円以上のランチなどが背中が痛くならないんです。
特に吉方位旅行に行ってから痛みがヒートアップしました。
もう居酒屋さんやB級グルメを楽しめなさそうです。
うーんわがまま!
●十傳より→太陽の姫君にあらしゃられては下々の者の食べ物が体質にあわなきようでござそうらえば、天竺よりの妙薬をおん飲みくだされますよう、ここに奏上するものでござそうろう。
十傳翁から天竺よりの妙薬ありがたきしあわせ受け奉ります候。
今年は漁師さんもびっくりの丸々とした高級魚が大豊漁だそうですね。
地震で地盤が覆されたからとかをテレビで言っていました・・。
●十傳より→ほんとうに地盤変化によるものかどーか。大豊漁はちと不気味であります。
≪マザコン万歳!≫であります。
(ただし、ドラマの冬彦さんのようなマザコンは…であります)
私が中学の時、お寺の住職でもあった校長先生が言いました。
君たちは、親を越さなくてはいけない
親たちの上を歩かなくてはいけない
親たちよりも進化しなくてはいけない
当時、とても複雑な思いで聴いておりました。
お母様への先生の姿勢こそが、校長先生のおっしゃったことの体現なのでは? と思います。
●十傳より→褒められると照れるのであります。そんなにイイモノではないのであります。