2011
08.02

心がうつろうのは慣れているのであります。
大好きといった子が、一年もたたないうちに憎しみのメールを出すなど世間ではざら。

しかし、肉体もまたうつろうのであることには、なかなか慣れないものであります。

昨日まで元気だった人が、今朝には死んでしまっているなんてことも世間ではザラなのですが、これが身内であれば、ショックはこたえるのであります。

冬になったら黄色い実をつけるはずの、柚子が道ばたにころがっておりました。
この世に順序などなく、成功するのも死ぬのも、てんでバラバラであります。
落ちていた柚子を拾うのでありました。

ルノアールの描いた光と影がうつろう絵画のように、時間は一瞬として静止することはないのだと、あらためて気づかされるのであります。

いまは一人だけれど、去年の今日は、このカフェで、あの人と笑いあっていたなぁ、なんて、めのまえに広がる池の波紋をながめているようのと同じような気分なのであります。

ずっと仕事をいっしょにしてきた仲間のイヌが死んだのでございます。

それはとても大切にしていましたから、愛犬の死は、悲しくつらく苦しかろうとおもうのですが、いうべき言葉もみつからぬまま、こうしてブログをUPさせているのであります。

肉体は時間に流され、ぶれながら滲んでいるのでしょうか。
掴んだとおもっても、手にはなにも残っていないのであります。
その手も、見る間に皮膚が老いさらばえ、風化し骨が残り、その骨も崩れてチリとなって吹き飛ばされるのでありましょうか。

それであっても、本当は実存しなくても、錯覚ではあっても、そこにいる、いっしょいるという一瞬はとても大切なものでありますです。
その大切さを忘れたわけではないのに、冷たく接することの多い日々なのであります。

  1. 『ずっと仕事をいっしょにしてきた仲間のイヌ』って、
    〈エッエー! まさかジョルノちゃんが? お腹をこじらせて・・・ま、まさか?〉
    と一瞬はやとちりしてしまいました。
    サッカーの松田選手(32歳)が意識不明の重症、というニュースが目に飛び込んできました。
    ニュースを見て、初めて松田選手という方を知ったのですが、とてもやるせなくなりました。
    曇り空で涼しいのは助かります、が、あたしには太陽光線が足りていないようで、ここ数日うつうつとした気分がつづいています。
    暑くてもいい! 焦げてもいい! もっと太陽を! ガオぅッ!

    ●十傳より→ペットロス経験者である私メは、ジョルノが死んでも次の対策をこうじております。が、生あるうちは最後の一瞬まで愛情らしきものをそそぐのであります。松田だの澤だのさっさと死んでしまえと唸る茅ヶ崎の飲み屋のオヤジどものだみ声に酔っばらう2011年の夏なのでありました。

  2. 亡くなったあたしの母は、ペットロスから鬱になりました。
    あたしは鬱にはならないと思うけど、いま飼っているこの子が死んだら…と思うだけで辛く悲しく苦しいです。
    何か対策をこうじなければなりませんね。
    赤ちゃん産ませとけば良かったなぁ~。

    ●十傳より→寿命のサイクルが違いますから、ペットとの死別はかならず迎えなければならない宿命でありますです。私メは、即座に新しいイヌを飼うことでペットロスの悲しみをまぎらわすことにしております。