2012
08.08
08.08
夏は傾きつつあります。
まだまだ夏よ、ってのは希望的な思いであって、真夏が到来したと大喜びしたときには、もはや夏は去りつつあるのであります。
やがて易者のもとには、失恋したお女性の嘆きの相談が押し寄せるのでありましょう。
人を好きになるのは、嫌われる覚悟も同時に必要かもしれませぬ。
時は過ぎゆくのであります。心もまた移り変わるのでございます。
「彼の気持ちを占ってください」という気持ちは理解して余りあるのでありますが、彼の気持ちを分かったところで、離れた心が戻るモノではありませぬ。
離れた心のまま、カラダでつながるのは40歳を過ぎてから。
若い頃は、快楽に未熟でありますから、心、心と、心だけを重視するのであります。
枕元に携帯電話を準備して、しかし電話はならず、眠られもせず夜明けに至ることになるのでありましょう。
「いまごろは、あの女とヤッているのではないか」
という疑心暗鬼の心も持ち上がります。
しかし、結局は赤の他人同士であります。
よその恋人同士のするような愛し合う真似ごとをして、自分たちも恋人になったと大喜びしているうちは可愛いモノ。
やがては他人だということに気づくのであります。
郷里に戻るたびに考えるのであります。
この小さな都市で、どのような恋をしたのかと。
過ぎ去ると恋は、すべて夢ではなかったかと感じられるのであります。
男は頑固に老けこみ、お女性はガチャガチャなオバサンになるのであります。
今夏も、やがてお盆。
学生時代のクラス会も催されることでありましょう。
別れた男、自分を苦しめた男に会いに…いえいえ、あの頃の自分に会うために、お女性は洋服選びをしていることでありましょう。
先生こんばんは。
先生は運命の女性は方は、何方か占った事はございますか?
●十傳より→意味不明のコメントでありますですが、運命の人などは幻想でありますですよ。みんな運命の人ではないかと思うのでありますです。バカバカしい限りであります。
いつからか分かりませんが、
すべては過ぎ去っていくのだと理解しました。
永遠に変わらないモノなんてひとつも無いと。
恋を失うその時は、身体がちぎれそうに痛いけど、
それさえも過ぎていくんですよね。
男女の人間関係は、過ぎてしまってからが大切…というか、イイ?のかな。なんて。
過ぎ去ると、こんがらがったパズルがスーッと解けるから、
そこで初めて、優しくて美しい景色が見えるのかな…。
……涼しい夜ですね。
●十傳より→恋愛も体力が必要でしてね、歳をとると人を水準以上に好きになることができなくなるのであります。
水準以上に好きになれないって、よくわかります。
歳と共に、いろんな都合も出てくるし、恋愛体力もほんとの体力もなくなっていきますから。
たまのお休み、デートより寝ていたい…とか。
だからといって、好きじゃないわけでもなく、
ちゃんと、その歳その時の自分なりに精一杯好きなんだとは思うんだけど…。
でも、あんまりいい歳して体力ありすぎってのも困るかな…。
「恋愛は愛情より根性」っていう、先生の名言が大好きですが、
大抵、お前が根性持つなー!って人に限ってド根性だったりするんですよね…。
水準以上に好きになれないのは、スマートな大人とも言えるかも。
(あくまでも「かも」だけど)
●十傳より→もっとも困るのは、恋するとバカに元気になる中年のお方たちであります。それだけで気持ちはしなびるのでございますです。
oh!読み返したら、ヤな感じ。違うの違うの。
「お前が根性持つなって思う人」っていうのは、
例えば、私がもう離れたいのに離れてくれなかった男に対してです。
私は根性なしだけど、私の周りの、愛すべき「恋する女子」には、根性持って頑張ってほしいなって思います。
なかなか先生みたいに上手く表現できなくて…
ダメですね。
●十傳より→根性が、いつの間にか執念にならぬようにお気を付けくださいませ。もう好きでないのに好きだと思いこむケースが意外と多いのでありますです。
先生こんにちは。
運命の恋が幻想なんですか…
占いサイトには沢山キーワードが出ていますのに…
●十傳より→いっしょに暮らすのも、一緒に死ぬのも、快楽を共有し合うのも、すべて運命の恋。そして幻想でありましょう。
いつも質問ばかりで申し訳ないのですが、先生の先生のサイトの1つ、「出かける場所と、あなたの相性」では、普段飲みに行くお店の名前でも大丈夫でしょうか?駅名と住所が違う時はどうしたら良いでしょう?地名の最後に市や町が付いたときは、どうしたらよいでしょう?
よろしくお願いします。
●十傳より→市町村は不要です。また最終目的地が決まっていれば(店などです)、その相性を重要視してください。駅名と住所が違う場合は、住所を優先します。新宿の「馬鹿ヤロー」という店に行く場合は、「馬鹿ヤロー」を重要視。新宿との相性をサブで見るっつうわけであります。
公衆の面前でいちゃつく二人はまず外観を壊す醜い風貌である事は間違いありませんよ。
あんこうちょうちん、ムール貝頭、お猿さん・・・しかり。これら二人も夏を過ぎると「いったい何で又、よりによってこんなのと?」と我に返り我を忘れ、後悔するのでありますです!
いい男といい女は最初から、距離の取り方、お互いの温度差をわきまえてますゆえ、例え別れがきたとしてもさほど問題はないのでありましょう。年をとっても素敵、綺麗なカップルはいますです。連れだって歩いてる姿はうらやましくなります、バランスがとれてます。わざとらしくないです。
何でこうもチガウ?
でもデパートの婦人服売り場を、うろちょろ歩くカップルはたいてい、ちょうちん&ムール貝ですね!
●十傳より→恋愛してもイイ人間と、ダメな人間を法律で規制すべきかもしれませんです。18才未満お断りのように。「愛」をまるで正しいことのように勘違いしておる風潮にストップをかけるりも一興でありますです。愛に税金をかけたも面白いかもしれませんです。
時代小説の藤沢周平作品に出てくる男女が端正で素敵です。
悲恋も多いですが、こんな形に憧れます。
私の場合は公衆の面前でいちゃつくカップルより、人にぶつかって知らんぷりする
人に思いっきりイヤ~な顔になってしまいます。
●十傳より→腰痛のときに、駅でぶつかってくるヤツには殺意を覚えます。「キクチナオコー、ピロロホリピー」と呼びたくなるのでありました。(マグマ大使のつもりでありましたが、分かっていただけましたでしょうか…)