2013
01.08

買いっ放しにしていた映画のDVDを片っ端からみているのであります。

画像は「風と共に去りぬ」でありますですね。
「すごいキスをしてやろう」とクラーク・ゲーブルにベーゼをされているヴィヴィアンでありますです。

この映画は男にとっては、あまり気分のいい映画ではありませんです。
お女性の自立が、なんとも腹だたしいのであります。
男の誠意を蹴飛ばしたところに、お女性の自立があるような描き方であり、それが、とてもリアルに感じられるのでありました。
が、私メには、ただのワガママ娘にしか見えませんでしたけれど。

このキスは、ほんとうは官能を意味しているのでありましょう。
いまであれば、
「忘れられないような官能をしりたいだろう?」
ということになるのでありましょう。
が、死ぬほどの悦びを教えても、お女性は別のものを求めるようになるものだということを製作者は伝えたいのでありましょうか。

おなじヴィヴィアンの主演の「アンナカレニナ」も観ましたのであります。
このお話は夫人と青年将校の不倫であります。
驚いたことに、冒頭で青年将校がナレーター役も兼ねていて、こう述べるのであります。
「男というモノは、どんなに愛していても不倫相手を心のどこかで軽蔑するものだ」と。

この二つの映画は、男女の意識の決定的な違いが描かれているようでありました。
この意識の違いが、男女を結びつけ、また、憎み合わせるのでありましょう。

古い映画をじっくりと鑑賞いたしますと、なかなかお勉強になるのであります。

  1. 古い映画はイイですよね。
    CGなど無い分、台詞がイイし、役者の表情、身のこなしも上手いなぁって思います。
    「草原の輝き」が好きです。

    不倫相手のことは、愛していても心のどこかで軽蔑するくらいでちょうどいいのかもしれません。
    男はそうでなければ、とも思います。
    (説明は面倒&上手くできないので省略)

    ●十傳より→字幕の「軽蔑」という言葉がキツイのかもです。もっと適切な訳があるのかもしれません。「憐み」とか、「不信感」とか。もっとヒドクなりましたね。

    • 「軽蔑」という表現でいいような気がします。

      配偶者の目を盗んで別の人とベッドにいるような女だもの、軽く見られて蔑まれても仕方ないかも。
      自分の妻や母親とは位が違う。違う種類の女。
      そんな相手だからこそ、男性もカッコつけることなく濁情にまみれることができるのかも…。

      奥方と同じラインで愛したら、みんなが不幸になってしまいますしね。

      …と言いながら、どこかで全く違う気持ちもあったり…。

      ●十傳より→そう思ってかみしめると、軽蔑って、なかなか官能的な響きがありますですね。

  2. 古い映画、大好きです。
    ヴィヴィアンは目標とする理想の女性で(美貌と才能、気品のみ。それ以外はちょっと・・)
    彼女の美しさを堪能したく、中学生のとき初めてみましたが、
    確かに気性の激しいわがまま女という印象しか受け取れませんでした。でも大人になってから観てみるとまた全く違うものですね。精神的にちょっと弱い私にとってスカーレット自身もやはり憧れの存在です。あれくらいの図太さが欲しいです^^

    ●十傳より→ヒッチコックの「めまい」のキム・ノバクは男にとって強烈でありますです。悪女のなかの、ちらっと見せる気弱さがたまらぬのであります。…映画の余韻に酔うこともなくなりました。

  3. 軽蔑されながらそれでも愛される人っているんですね、尊敬します。
    やはり手口が上手いのでしょうか。

    ゴダールの軽蔑もたしか歪んだ夫婦愛のそんな映画ですね。

    ●十傳より→映画「軽蔑」は名作でありましたです。男にとって尊敬からは愛は芽生えないのであります。とすると愛の源泉は軽蔑でありましょうか。が、現実ではお女性のプライドと、男の求めるモノとは完全にことなっているのであるようであります。