2013
02.23

なにしろ例年にない雪の多い年なのであります。
震災から二年。
三回忌の法要はふかい雪の中でおこなわれたのでありました。

震災ボランティアのコンサートとか、日本は一つだとか、絆だとか、そういう気休めはまだまだ通用しない、理不尽な悲しみに、この雪は憤っているようにも感じないこともないのでございました。

ひとえに人々は、民主党さえなければ…と小沢一郎のパシリの岩手県のたっそ知事などに憎しみを込めるのでありますが、死者がよみがえる道理もありませぬ。

一年ぶりに再会する従妹たちも、一年間の老いがにじみ出て、かつては「うぐすか泣かせたこともある」美女だったはずなのに、雪をとりのそく作業に、髪の毛がわれて白髪がのぞき、「ああ、みなみなも白雪姫になったことよ」と、私メをして、嘆かせるのでありました。

従弟のお嫁さんである死者も美人であり、その妹さんも美人。
が、白雪姫にかわりはありませぬ。

雪の中から、ちいさな花飾りが出てきたのでございます。
遺児たちに聞きました。
「カナちゃんがあげたの?」と。
するとカナちゃんは、リナちゃんとね、と妹と笑うのでありました。
「クリスマスのイブにふたりでここにきて…」と。
まだ小学生である二人も、いずれ、うぐいすを泣かせる美貌になる片鱗を、そのとき私メはそのお顔に、みとめたのでございます。

死はだれにでも平等にふりかかる、ひとつの扉であるのでありますが、それがいつなのかは容易に知ることはできませぬ。

生きたいと思っても生きられず、死にたいと願っても死ねない。
死ねばいいとおもっても死んでくれず、もっと生きて欲しいとお祈りしても逝ってしまうのが世の常でありますです。

豊かな乳房におもわず顔をうずめ、ぬくもりと体臭と同化しようとしても、皮膚一枚のその下で鼓動する生命の高炉をどうすることも出来ないのでございます。

ただ冷えたカラダを燗酒で暖めるだけでありました。

白雪姫たちと浦島太郎が、死者の霊を慰めるのでありますが、自分たちも刻一刻と、死の国へと歩んでいるのでございます。

「ずんぶんひとりで飲んでるよン」
と隣の老母に喪服の肘をつつかれ、気づけは七合。
切り損ねたローストビーフが、となりまで吹っ飛んでしまう始末。

ホテルでは幾組かの結婚式もありまして、開始するときは参加者のにこやかなお女性たちと、帰りのロビーで一緒になりましたが、なぜか、皆々さまは、どす黒い表情をしているのでございました。

まだ法事帰りの白雪姫たちの方が、仏様の如くでありました。

  1. 何故、結婚式帰りの皆様がドス黒い表情だったのか気になります。
    先生はなぜだと思われますか?
    大切な何かを失った、これから失うであろう人たちの方が清らかさを得る。
    人間とは不思議なものですね。

    ●十傳より→意識しないまでも、一方は人の幸せを見て妬ましくなり、一方は人の不幸を見て心が軽くなり…ということではないかと思うのであります。おっしゃる通り、人間は摩訶不思議なものでありますですね。

  2. あまり「結婚式」というモノ自体に縁がなく、自分としても晒し者になる気もないので、そういう人たちを見る機会に恵まれず…数少ない経験で言えば、結婚披露宴というのは、やけに気疲れしますね。あんなので血色が良くなるのは浴びるほどお酒を飲んでいた親族さんたちでしょう。
    ああいう場所は、ナニか生気を吸い取る魔物でもいるのかもしれません。

      ●十傳より→ここ数年、葬式や法事続きなので、たまには結婚披露宴も悪くないと羨んでおりました。

  3. 日頃出会いの少ないフリーのお女性。
    新郎新婦の友人に期待して、気合いをいれて臨んだものの、見事にスカッ。
    どす黒さ 期待のでかさと比例する
    若かりし頃の自分と重ね合わせて、妄想してしまいました。

    ●十傳より→お祝の三万円が無駄になるのですからね。披露宴に呼ばれなかった魅力あるワルは二次会に、やはり漁りを目的として現れるものなのですが。

  4. お葬式や法事が続いていたという事は、
    心身共にさぞお疲れになっている事と思います。
    悲しみの他に、久しぶりに逢う親族というものは
    嬉しくもありますが大変肩がコルものです。
    生きたいのに生きられない 生きてほしいのに逝ってしまう
    悲しい事ですが、本当にそうなんですね。
    父、年の離れた兄・姉 を亡くした時につくづくそう思いました。
    もし気を悪くされたらすいません、
    その亡くなった兄ですが、少し若い頃の顔が先生に似ております。
    ただ残念なことに、先生ほどステキでも スケベでもありませんでした。

    ●十傳より→もはや葬儀の専門家でありますです。果物は仏壇のどちら側とかカラダが覚えてしまっておりますです。以前、お客様の結婚披露宴に招かれたことがありまして、そこで青森の爺さんが「あなたが噛んだ乳首が痛い~♪」とやりだして、とたんに雰囲気が総崩れとなった微笑ましいエピソードを思い出しましたのでした。

  5. “生きたいと思っても生きられず、死にたいと願っても死ねない”。
    かつて死にたいと言う人に、生きたくても生きられない人がいるのにそんなことを言ってはいけないというようなことを言ったことがございます。
    今考えるとそれは、ドウトクやリンリや、人からすり込まれた浅はかな理性だったのでしょう。
    こちらのブログを読み始めて、人を理性ではなく本能で理解できるようになりたいと思うようになったのであります。

      ●十傳より→死ぬほど愛している。死ぬほど美味い。死ぬほど気持ちイイ。「死ぬ!死ぬ、死ぬぅ!」。「死」という言葉は感嘆符なのでありましょうか。その代わり「イク!」と言っても、それは「生く」といのではなく、「生」の言葉は感嘆符になりえないほど退屈かもしれませぬ。

  6. 2人中心の世界から、現実的な環境へ否応なしに足を踏み入れる初日が披露宴であります。ステージ衣装のような化繊のドレスにメッキのティアラ・魅力のない祝辞・1ヶ月前に作ってあったケーキ。まがい物に囲まれて、2人の間にでさえ愛は果たしてあるのかと思うのでございます。一緒にいて楽しい相手だとしても本能の相手ではないと、のちのち気がつくと苦しゅうございます。

      ●十傳より→とは言っても、二人のために作曲したという歌をうたわれても参りますですし。結婚は我慢という要素が濃厚にフブレンドされているようでありますです。

  7. またコメントを書いてしまいました。
    先ほどの 青森の爺さんの乳首のくだりには
    あまりにも可笑しくて、涙を流しながら笑ってしまいました。
    (仕事中なのに・・・)
    こういう爺さんは今では国宝ものですね。

     ●十傳より→その爺さんは場の変化をウケたと勘違いして、さらに「昨日の夜の乳首ィが痛いイ~♪」と替え歌で三番まで歌いきったのでありました。みな額の汗を拭っておりました。