03.02
震災の三回忌で従妹のうみちゃんと久しぶりに再会したのでした。
うみちゃんは、お嫁さんを失った従弟のお姉さまでございます。
大学は東京の音楽大学でして、そのままを埼玉に住んでいるのですから、法事でもないと会うことができませぬ。
「ショパンいいわよね」
と酒ばかり飲んている私メに語りかけるのでした。
いろいろと悩みがあることは老母から聞いておりましたけれど、音楽の話ですこし安心いたしました。
それで、三回忌から一週間たったいま、部屋でショパンの別れの歌などを聴いているのでありすです。
「あと、五年生きられたらいいかなっておもって暮らしてるの」
うみちゃんは言うのです。ことし還暦とか。
「五年たったら、あと三年くらい生きようかっていうように?」
と私メ。
「あのね」
うみちゃんは問いかけます。
「こんなとき男性だったらどう思う?」
昔からうみちゃんは才女の誉れが高いお女性でしたから「男」なんて言わずに「男性」というのです。
「知り合いでね、20年間不倫をしてきた人がいるの。私のお友だちで。東京と岩手に暮らしているから遠距離不倫よね。一年に四回くらいしか会えないわけよ」
と言葉を置いて、
「それがね…」
と続けたのであります。
よくある話でありました。
お女性が乳がんになったというのであります。
「えっ?」
反射的に飲み友達のことが頭をよぎりましたが、黙っておりました。
「彼女、乳がんになって、片方の胸を取っちゃったの」
傷が癒えたあたりに、二人は逢ったというのであります。
「ダメだったのよ…」
「何が?」
ラブホに行こうとしたけれど、ドアの前で引き返したというのです。
「どっちが?」
「二人ともよ」
「それでね、考えちゃったの。20年間の付き合いってそんなことで終わってしまうかって。そこで、あなたに尋ねたの」
オッパイを失ったお女性は、彼にカラダを見せるのをおそれ、男もまたオッパイを失ったお女性にたじろいでしまう。と同時に、二人の気持ちがすれ違っていく。ということなのでありましょう。
社会性をともなう婚姻関係と異なり、男と女という本能で結ばれた二人は、外部からの妨害には強かわり、内部のアクシデントに対しては抵抗するすべがないのかもしれませぬ。
私メは過去をのぞきました。
40代のはじめに不能になり「武器よさらば」状態に陥ったとき、付き合っていたお女性が散らばってしまった過去を。
「ハゲたら私たちはおしまいね」
という声もリフレーンいたしましたが、たとえば、そういうことなのでありますですね。
大灰色熊は、死の山にはいり、岩陰に身を横たえました。シューシューと漏れる毒ガスの音が、まるで母親のうたう子守唄のように聞こえるのでした。という動物記を思い出したのであります。
心よりカラダ。いやカラダより心を愛する…などという問題ではなさそうでございます。
うみちゃんは、
「相談したいことがあったけれど、今度にするわ」
と親戚へのご挨拶に、席をたったのでありました。
春のショパンは旋律がひどく沁みるモノでございます。
入れたオッパイの女性も男女関係は続かないというふうに聞きます。
●十傳より→未知の領域でありますね、その分野は。が、美乳整形は私メに限って大歓迎でございましたし、ございますし、ございますでしょう。再建の場合は、たぶん、お女性側の姿勢(演技力)と深くかかわるような気がいたしますです。
男性に揉みしだいて頂けないと聞きますので。小野ヨーコさんくらいの年齢になったら考えます。彼女のはホンモノの谷間の様です。
●十傳より→私メが聞くところでは、一年ほどで同化するとか。ギタギタとしなければ大丈夫らしいでありますよ。
母は42歳で片方の乳房を、44歳でもう一方の乳房を失いました。
父は、平日は午前様ばかりでしたが、夕餉の時間を家族とともに過ごす時は、3人の子を前にして母にチュッとしたりして、母は「やめて」と言いつつもまんざらでもないない様子でした。
手術後、しばらくして、以前のように父がチュッとしようとしたら、「やめて」と母は言いました。異なるニュアンスの「やめて」を感じとった父は「いいじゃないか、馬鹿だな」と返しました。
父のチュは、以前のチュだったのか、それとも、母を思いやってのチュだったのか?
母の「やめて」は、母自身にその気がないことを表したのか、それとも、「その気もないのに無理はしないで」という父への思いやりだったのか?
大胸筋まで切除され肋骨の浮き出た胸は、惨々しく見たくありませんでしたが、暑がりな母は夏は上半身裸。家族全員がお願いだからやめてと言っても、「隠すモノなんてないんだからいいじゃない」と母。
機微がわからないのか、分かっていてもわが道を行ったのか…
母は、永遠に謎の存在です。
乳癌家系(伯母と姉も)なので、豊胸手術やホルモン治療などでオッパイを大きくできません。ピルはもってのほか。密かに目論んでいるのは、早期発見していただいた暁に形成外科手術で大きなオッパイを手に入れようと…。癌での入院中に豊胸手術。乳癌になるとビビっていた日々は、なった時に豊胸手術のご褒美をいただいてチャラにしないと気が済みません。豊胸で会社は休めませんが、癌でしたらOK。豊胸を夢見て癌を待つ、とても罰あたりですね。だからいまだにならないのかしら?
●十傳より→愛情なのか憐みなのか。そこが鍵でありましょうか。「オレは気にしない」「わたしだって気にしていない」。けれど牙が抜けた愛情は、憐みとなって、お互いの気持ちを膿ませるのかもです。デカイとか小さいより、敏感かどうか、その反応によって男たちは力がみなぎるのであります。どうぞ、その宝ものをお使いくださいまし。
本能。少し暖かくなった頃に裸足で砂や草の上を歩いた方が、本能に直に伝わるようです。塩素の強いプールでいくら泳いでも代替としてごまかしているだけだから、心地よくないんだろうなと気づきました。
●十傳より→あれ、何のお話でしたっけ…。けれど、裸足の季節はソコまできておりますです。まずは塩素のプールで角質化した部分をツルツルにいたしましょう。
そうですね…ショパン、心に沁みます。
ここ数日何故か、♪ビアノ協奏曲第2番第2楽章をリプレイしながら聴き入っていました。
もし私がそうした立場になったとしたら…
たとえどんなカラダになっても、カラダも心も丸ごと抱きしめて欲しいです!
男性もいろんな思いがあるでしょうけれど…
これまで生きてきた中で一番の勇気を振り絞って、声なき声で叫びたいです。
本当に、どこまでもお優しいのですね…。
●十傳より→お人よしなだけでありましょう。今日もおショパンが似合う春の日っぽいです、関東は。
女性としての大事なパーツを失って、
その上、20年も大切にし合ってきた人を失うなんて…。
ただでさえ、別れは苦しいのに、
こんな終わり方…。
生きていくと、そういう別れをいつか経験するのかな…。
前に付き合っていた9つ年上の男性が、「ハゲてもよろしく」なんて笑ってたけど、
そうですよね、夫がハゲても(けっこうキ始めてる)そんなに気にしないけど、
配偶者とは違う絆で結ばれている人がいた場合、
その「老い」を、どこまで包み込めるんだろう…。
自分の「老い」を、どこまでさらけ出せるんだろう…。
こういうこと考え始めると眠れなくなります。
●十傳より→白髪陰毛でもダメだったのでしたからねぇ。しなびたオッパイの美味しい愛し方があればイイですね。根元をにぎれば、すこしは弾力が出ますとか。
わたしは薄毛( 禿げた方)を好きになった場合は
その人を受け入れることができますが
好きになったひとが禿け来たり
入れ歯になったりとなるとだめですね。
どこかなえていく自分がいます。
それはその人と重ねた時間や その方への愛情に比例するかもしれませんが。
数十年ぶりに同窓で当時 恋焦がれていた先生と出会って
靴が汚れていた事や 手の甲に生えている毛 前歯のすきっ歯
耳から出ていた数本の毛をみて
100年の恋も冷めてしまいました。
男性だけではなくメンタルなものが弱い女性もいるのです。
手の甲に毛や耳に毛が生えているからどうこう というよりも
なぜそれを処理できずにいるのか 処理もせずに来られたのか?
そういうデリケートなところに胸を痛めました。
脱線してしまい申し訳ありません
●十傳より→いいえ、とても大切なことでありますです。同窓会の女子のシミの浮きあがった手の甲を、思わず両手で暖めたくなる衝動は、それは憐みなのでありましょうね。あるいは手入れの行き届いた女子への濁情をかくす行為なのか。しかし、耳の毛をカットすることにいたします。
その女性がホテルの前で躊躇し、
入るのをためらった気持ちは良くわかります。
自分がもしその立場だったらと考えますと、
きっと同じ行動をとったことでしょう。
ただ男性には嘘とわかっていても、
・・気にしない・・ と 半ば強引に自分を求めてほしいと思いますが、
女のとしての自分の身勝手かもしれませんね。
そのお二人がもっと頻繁に逢える状態の20年間でしたら、
状況はまた違ったものになっていたかもしれませんね。
前の 待ち続けるモノ を読ませていただいた時、不思議な気持ちになりました。
こんな稚拙な事を言うと失礼かもしれませんが、(怒らないでください)
先生から受けるイメ-ジが、幼い頃読ん手塚治虫のブラックジャックと
デレビの 中村敦夫さんが演じた木枯らしもんじろう です。
幼いながらにも、憂いをおびた心温かいこの二人の主人公が大好きでした。
特に、木枯らしもんじろう のテ-マソング
♪ ど-こかで- だ-れかが- ♪
という唄は、もんじろうの孤独感をよく引き立てているようで
今でもテレビの中で流れていたりしますと、心が切なくなります。
きっと先生の背負っていらっしゃる様々なものが
この二人を連想させるのかもしれませんね。(本当に怒らないでください)
●十傳より→二つとも名作ではありませぬか。たとえばラテンの陽気な音楽を耳にするたびに、どこかで誰かが待っていて、そのどこかに帰りたい気持ちに襲われますですよね。それがどこなのか、記憶を喪失したように分からないのがもどかしく、そのもどかしさもまた心地よいのでありますです。
やはり、見かけでは年下若者から合格点をもらわねばなりませんね!
●十傳より→良いモノを少しだけ食う習慣が陶磁器のようなきめ細かなひんやりとした美しい肌を作るようでありますです。安いモノを大量に食っていては、たとえダイエットしてもダメかも…。