03.05
中学の校舎を背景に撮影したのでありますです。
このたび、ショップサイトのノンナ・デル・マーゴを、完全リニューアルし、
「しあわせ工房NONNA」にすることになり、それに使用する画像が必要だったからでございます。
今後、定期的に画像を入れ替えて、皆様を楽しませようというたくらみでございますです。
中学を卒業して、数えてみれば、おお、なんとオショシイことか。40年以上の歳月がたっているではありませぬか。
文化祭の前日などは、深夜まで校舎にいたような記憶がございます。
見上げると、それこそ降るような星空でありました。
「あの星と、この星を結んだところに大くま座があるだろう」
とか、いまは亡き教員が夜空を指差していたものでございます。
「四時間目が10代なら、いまは何歳くらいかな?」
なんて、興奮のあまり、わけのわからないことを語ると、
「そうね、40才くらいかな」
とカンの良い女子の先輩が笑っておりました。
「60才じゃねぇの」
というお方もございました。
思春期は伝説の時代でございます。
自分が老人になることは想像できても、生臭い40才から60才の年代がじっさいに来るとは思ってもおりませんでしたですよね。
が、50代はどーなのか分かりませぬが、お女性がもっとも美味しい年頃は36才から50才くらいまでではあるまいかと思ったりするのであります。
50代だとて、五十路ゴザかきむしり…と言われておりますから捨ててはおけませんですね。
むろん多少は、いや、かなりゴマをすってはおりますが、しかし、それらの年代のお女性は自由っぽくてイイのであります。
お堅いお女性もおりますですが、しかし、「時は過ぎゆく」でありますですよ。
放課後の校舎の暗闇の、なんと新鮮だったことか。
昼間には嗅いだ事のない夜の匂いが校舎に淀んでいるのでございました。
お手をどうぞ。
いっしょに夜のワルツを踊りましょう。
「おい、用がすんだら、もう帰れよ」
という教員もおりませんです。
暗闇に教室のカーテンが揺れて手招いておりますです。
死ぬほどの恋のレッスンは終了しておりますから、「おう、お前もまだ居残っているのか」「手伝ってよ」てな具合に、放課後の解放した風を感じるのもまた悪くはございせんですね。
年老いた男がなんのために撮影されているのか、数人の中学生は振り返るのでありました。
自分たちの40年後の姿だとは、だれも気づいておらぬようでありました。
10代は青春そのもの、20代から30代前半はいろんな経験を重ねて、30代後半から50代は青春の放課後、ということですね。納得。同感。賛成いたします。
人生は一度切り。固いことも大事だけど、青春の放課後を謳歌するチャンスが来た時は、鎧を脱ぎ捨ててトライしてみようかな。
うららかな季節が巡って来たことですしね。
●十傳より→正しくあやまちを犯すことだって可能なのであります。
36歳から50歳くらいまでで美しい女性というのは、
夜のワルツを踊れる人に限る、という気もします。
命短し恋せよ乙女。
度々このブログに出てくる言葉の重さをかみしめつつ、
何かすがすがしい気持ちで読ませていただきました。
●十傳より→灯りを弱めてしまえば、暗がりという飾りで美しくなれるのでありますです。たぶん。
ショップリニューアルですか☆楽しみにしておりまする♪
しかし渋いですね~~~ いい感じで年を重ねてますますでございますね
学校って懐かしい匂いがしますね…
●十傳より→周囲に迷惑ばかりかけてきた顔がコレであります。学校という、同じ年の連中が集う不自然な場所は、卒業後は妙な郷愁をそそるのであります。その不自然な場所に、二度と舞戻ることはできないのでありましてね。
年老いたなどとはとんでもないことです。
実際お逢いした事はありませんが、写真で拝見する先生は
十分すぎる程ステキだと思います。(μm単位のお世辞入り?)
きっと先生の周りには、愛されないとわかっていても
想いを寄せている女性は大勢いらっしゃるのでは。
どんな人にも、想像もつかない人にも青春時代はあったのですね。
青春ドラマを絵に描いたような 幸せだった人、
唄 ・・ざんげの値打ちもない・・ のような若い時を過ごしてきた人も。
年を重ね過去を振り返った時、今の自分の状態によって
過去の記憶のとらえ方は多少違ってくるのでしょうね。
●十傳より→十傳スクールの六時間ぶっ通し講義の、最後の一時間は老人性疲労で、たぶん死相がにじんでいるのだと思いますです。受講の方々は憐れむような目になっているので、それがよーく分かるのでありますです。のちのち「あの頃の十傳は、まだ少しは若かったよね」なんて合掌してくれるのでありましょうか。
撮る側も大変そうですね。笑!
●十傳より→なにが笑!なのか理解できませぬが、まずは笑えば福来るかもですね。