2013
05.08
05.08
引き出しの下の、古いちいさなバッグの中から、このようなモノが出てきたのでありました。
小野キヨセとは、18年前に死んだ、私メの祖母でございますです。
震える筆跡であります。
死ぬ二、三年前のモノでございましょうか。
でありますから、コレをもらったのは、それ以前ってことになるわけでして、ざっと20年ほどもバッグの中にしまいこまれていたのでありましょう。
とても使えるお金ではなく、イザと言うときのタメに手をつけなかったのか。
それにしても、お金を仕舞い忘れることなどありましょうか。
人に貸した千円ですら、何年間も憶えているわけでございますし。
いや、やはりもらった本人は忘れるかもしれませんですね。
それとも、あの世から贈ってくれたと考えても悪くありませぬ。
何に使おうか。
さしあたって欲しいモノは何もなく、まさか飲み代に使うこともできず…であります。
と、思いながらも、愚かなことに消費してしまうのは経験上からも否定できませぬ。
ひどく得をした気分でございます。
イイことがありそうな気持ちになるのであります。
私メは、祖母ほど愛してくれた人を知りません。
重苦しくはありましたが、無償の愛だったと振り返るのでございます。
けっしてけっして、お金が出てきたのでそう思っているのではなくて、でありますですよ。
20年の時をへて すてきな贈り物ですね☆心がじんわり温かくなりました…
無償の愛を送ってくれた おばあちゃま 何かを語ってくれたのでしょうか (*^_^*)
ゆっくりお楽しみ下さいませ♪
●十傳より→記念になる何かに交換しようかと考えているところであります。
このおばあ様の震えた文字をみていましたら
涙が流れてきました。
拭いても拭いても止まりません。
先生の人としての温かさは
おばあ様からいただいたのですね。
20年を経て 2度目の素晴らしい贈り物です。
とにかく涙が止まりません。
●十傳より→「なにとぞモリオカさ、帰ってもらえねべが」と頼まれましたが、いまだに三塁にいますです。
たとえ死んで跡形もなく無くなっても、息続けるとはこういうことなのでしょうか。
●十傳より→かもしれませぬ。ただし、お金で良かったであります。足利尊氏が四代前だったかの置き文を読み、それで発奮した言い伝えもございますです。愛するということは、頑張らねばというパワーを与えることと、すこし知り申した。
>愛するということは、頑張らねばというパワーを与えることと、すこし知り申した。
これまでいかに多くの愛を無駄にしてきたかと、呆然としました。
●十傳より→終ってしまった愛は無駄と思うことで心の平均をとるのが一般的ですけどね。