05.10
夏がそろそろと近づいているようであります。
立夏は過ぎたのに低温でしたけれど、やっと新しい夏に塗り替えられようとしておりますです。
かなりむかしのことですが、あるお女性から逃げられず困っていたことがございます。
しがみつかれていたというわけではございません
私メの肉欲が、そのお女性を欲していたのでありまして、いろいろと別口をタメしたのですが、合うお女性にめぐり会うことはできませんでした。
今年の気候は、まるで、それと同じような感じでありますです。
夏が煮え切らないのであります。
お女性が男と別れるためには、別の男が必要というケースは多いようでありますが、その気持ちは、当時を振り返ると理解できるのでございます。
もっと素晴らしい相手でないと腐恋から脱皮できないように、夏も暑くなくては夏ではないのです。
しかし、ここ数年は私メはお女性を愛したという気持ちに至っていないことに気づきました。
「また逢おう」
と約束しても、たちまち一ヶ月も連絡もせず、それは愛でも濁情でもありますまい。
「心は欲しくないから、それでイイよ」
というお女性も増え始めたのは、そのような私メにとっては快い時代へと移行しているともいえないこともないのでございます。
「え、もう二年も逢っていなかったのか」
メールなどでやりとりしていると、こうなりがちでありますね。
まてよ、占いを学び始めてからだな、心が騒がなくなったのは…と思いますです。
嫉妬をプレイとして楽しめるということは、恋情とは関係のない感情なのでございましょう。
まあ、いいさ、それで。
と呟いてみました。
やがて夏は猛威となって襲ってくることでありましょう。
そんなに情熱的になってくれとまでは求めていなかったのに…と困り果てる日々が来るのも、そんなに遠いことではないのでありますです。
ステキ。小野先生を逃がさない女性なんて。
「もう会わないわ」と心に決めていても、骨の髄まで毒のように染みてしまった快楽から逃れられないほどのワザを持った殿方に出会ってしまったら、コチラが逃げられません。
「心なんていらない」は、「もう心なんて必要ない」ほどに、深みにハマっているのでしょう。業の深さは、淫毒の深さなのかも…
●十傳より→男と女の仲は逢っている時だけ。これが掟でありますです。破れば、たちまち六条の御息所となり果てますです。
なかなか毒が抜けずにのたうちまわるのですよ、オンナという物の怪は。
源氏の君はなんと愚かなオノコよ…と思っていましたが、自分の身が淫毒に犯されれば、笑えない章です。
会わずにいれば済むのにねぇ…とせせら笑うのは、きっとそんな甘く苦々しい背徳を知らない人でしょうか。
●十傳より→いちどキレますと、男女とも救いようのない地獄に堕ちるのでありますです。家庭があるとかないとかとは別の世界でありますし。
それで、ストーカーになる人ならない人のチガイは何でしょうか?
●十傳より→恋を美化してシナリオを作っているお人でありましょうね。
キレずに?「地獄」という同じ名でも、そうなるかならないかでずいぶんとオチどころが違いますものね。
逢う時だけ心をこめ、離れれば余韻と淫毒の痺れに暴風の過ぎるのを待ち、また次の逢瀬を「ないかもしれない」と諦めながら待てば、六条の方にならずにすむのでしょうか?
●十傳より→相手の会話をひとりで分析することから地獄が始まりますです。最悪なのは、メールで問い詰めること。相手を疑いたくなるのは自分にそういう種子があるからでありましょう。逢っていない時の自分の心を信じることは危険でございますです。
メールなどより、やはり短歌の方が…コレではエロ百人一首にまで話がおよびそうです。
逢う時だけが真実と…そうですね。その時だけが2人の裸の心ですね。
●十傳より→遊び心を失くした関係は牢獄でありますです。
破綻するか首輪に繋がれるか…適度に距離を保つのは難しゅうございます。
●十傳より→イイ女でありつづけようとすれば、それが極意かと…。
濁情は 海の水に似ている
飲めば飲むほど
喉が渇く
そういう感じでしょうか?
●十傳より→イイこと仰いますですね。詩人ですね。海水で喉が渇いて苦しんでいるのに、砂浜で貝殻を耳にあてて海の響きを懐かしんでいる相手をみると、やはりドヤしたくなりますですね。
しばらく、
恋愛とほど遠い環境に身を置いているとき
コクトーごっこは栄養剤になります。
●十傳より→好きのしるしのキス。ってのはいかがでしょうか。
好きのしるしのキス?
愛犬の頬へのキスのような・・・
純情な少年のキスのような・・・
なんだか青臭くって、背中が痒くなります。
キスの発信源が肉欲である私にとっては。
●十傳より→好きのしるしのキス。これは回文でありますです。
私負けましたわ、ですね。
●十傳より→まぁんつ、まぁんつ。
イイ女…やはり難しゅうございます。
カラダだけでなく、頭の中身も所作もそのようにありたいのですが。
しかし、男性の思うイイ女と女の目指すイイ女とはちと方向が違うようでありますね。
●十傳より→好きになっても自分は自分、相手は相手」という一種の冷たさが、男心を傾かせるのでありますです。イイ女とは、解けないパズルのような謎のあるお女性を指し示すのでありますです。