12.03
ここは香川県観音寺市。
昨夜、茅ヶ崎を出て、辿り着いた町であります。
しずかなしずかな町でございます。
レンタル自転車を借りまして、「うまい!」といううどん屋を探し当てた喜びは、これでふらふら旅行をやっと終われるという安堵に近いものでありました。
入る前から、ここは美味いぞ、と確信を持てる店なのであります。
官能うどんというのは観音寺と官能の掛け言葉ってことは分かりますですよね。
切ない海は瀬戸内海。
店内は撮影することも申し訳ないくらいの乱雑さ。
老婆が四人ほど働いているのでありました。
そして出てきたのが、細麺のコレ。
素うどんなのに、キツネとかいろいろ入っておりますです。
その麺のしなやかにして、薄口の汁を巻き込こむのは手打ちならではの太さの大小によるものでありましょう。しかも若鮎が川面をたたくように麺の最後はのど元をうつのであります。
一杯で足りるはずがありましょうか。
「おかわりしていいでしょうか…」
と恐る恐る尋ねると老婆の一人が「遠慮せんとたんと食べてってつか」とOKが出ましたので、では、と、また素朴なヤツを注文したのでございます。
これが絶品。
腰がありつつも、どこまでも優しい麺が、甘めの濃い麺つゆに溶け込むのでございます。麺つゆにはおろしショウガの香り。
心の麗しいお女性にであったごときの感動でありました。
もはや遠慮することはできませぬ。
そのご追加に追加を加えまして、四杯の大うどんを平らげたのでありました。
もっとイケたのでありますが、わんこそばではありませぬから、この辺でやめなければいけませんでした。
まぁ、ざっとこのような感じでございます。
シメは天ぷらうどん。
が、うどんというものはどんな食っても満腹感が希薄なものでありますですね。
肉などのようなものを食いたいような気がしましたけれど、それは気のせいでありましょう。
夜の観音寺を満喫するためにも、これ以上の満腹はいけませぬ。
ふたたび駅に戻り、切ない海の夕日を打ち眺めるのでありました。
安宿をみつけて、こうして几帳面にブログをUPさせている次第であります。
が、足元からむずむずと混みあがってくる若さはどうしたものでありましょうか。
「はよ、おいで、優しゅうしてあげるきん」
と幻の声が聞こえるのでありますです。
「財田川の橋のたもとに黄色い家があらい。ほこはええ子がぎょうさんおらい」と安宿を紹介してくれたタクシーのおっさんの声もよみがえるのでありますです。
赤い小銭入れに千円札を詰め始める私メでありました。
見みからに美味しそうな うどん です。
それにしても随分と召し上がりましたね。
沢山食べる男性はパワ-がありますし、仕事を熟すセンスの良い方が多いですね。
滅多に口にはしないのですが、わたしも うどん は大好きです。
高校生の時、剣道の試合の帰りに寒い駅のホ-ムで食べた天ぷらうどん の味と香りを
今思い出しました。
値段は200円くらいでしたが、とても美味しかった。
もう一度食べたいとおもいますが、立ち食いソバ屋は残っていません。
さびしいです。
●十傳より→味覚の記憶は、その時の別の記憶と混ざり合っておりますです。美味いと感じた時に目いっぱい食っておかないとダメかもしれませんです。再訪すると「もっと美味かったはずだったのに」ということになるものでありますから。その立ち食いそば屋が無くなったことは、ひょっとすると良かったかもです。
先生こんばんは。
四国のうどんは美味しいですね。
香川県から年に数回うどんを、お取り寄せをしております。
今日は、うどんが食べたい!って今すぐ四国まで行ってみたいです。
●十傳より→いきたくなって行く人と、やっぱり行かない人がおりますです。行けば行ったで何かあり、行かなければ行かないで何かがあるのでありますです。
先生、北北西はは、北で、西北西は西としてよろしいでしょうか?
●十傳より→ひとつの方位は45度と書いたような記憶がございますですが…。
「赤い小銭入れに千円札を詰める」の極意が分かりません。
良かったらご教授頂けませんか?m(_ _)m
●十傳より→いやいや意味などありませぬ。飲み屋には千円札、これがイイのであります。万札など見せたらナメられますです。チップだって千円札ですから。向こうもダマしなら、こっちだってダマさなくては。「金がないからもう少しマケて」という時も、小銭からの千円札は力を発揮するのであります。「このバカ女が…」と支払う損害額を軽減させる。お店と女の子と易者のどちらがオバカなのか。ダマシ愛なのであります。